hideちゃんが亡くなってからのこと

hide ちゃん
 5月が終わった。あの日から、早いものでもう一ヵ月。なんだかめまぐるしくことが運び、気がついたら一ヵ月たっていたという印象だ。彼の死が報道された翌日から、いろんなマスコミから電話がかかってきた。中には、突然、自宅に訪ねてくる人もいた。最初はどういう対応をしていいのかわからず、すべてにお断わりの返事をさせてもらった。けれど、テレビや新聞に踊るセンセーショナルな文字やいい加減な記事には、正直いって憤りを感じるものも少なくなかった。彼を知らない人が憶測で話したことが記事になるくらいなら、少しでも彼を知っている私がなるべく嘘じゃないことを話そう。そう決心したのは、テレビの取材依頼があって、出演するべきかどうか悩んでYOSHIKIに相談した時、彼のいったひとことだった。「HIDEちゃんのカッコよかったこと、いっぱい話してきて。それができる人は、あんまりいないんだから」その言葉で、私も自分のやるべきことがわかったのだ。ところが、「自分で原稿を書くか、話したことをチェックさせてくれるのなら、取材に応じます」という態度を表明したら、ほとんどのマスコミが「だったら、結構です」といってきた。これがどういうことを意味しているのか、想像するのは簡単だ。こちらの意図とは関係なく、コメントを細切れに使って、興味本意な記事を作ろうという気なのだろう。芸能人がくっついたとか離れたとかいうニュースなら、それも許せるかもしれないが、人が一人亡くなった時にまでそういう記事を作り方をする人たちに良心はないのだろうか。彼が亡くなってから一週間すぎた頃からは、もっとひどくなった。「サーベルタイガーのベースの方が、どうして亡くなったのか話してください」とか、「昨年、彼が頭蓋骨を折った時の様子を、教えてください」とか、どーでもいいようなことを聞こうとして携帯にまで電話をかけてくる。ホントにもう、呆れ果ててしまった。その一方で、自分で書く原稿はなかなか満足のいくものが書けない。何回書き直しても、彼の人間性を伝えることができず、自分の力量不足を思い知らされる。こんなことなら生半可な気持ちで原稿依頼をOKしなければよかったと後悔するのだが、確実に締切日は迫ってくる。結局、自分の中での妥協点を見つけて原稿を完成させたけれど、やはり心のどこかにすっきりとしない気持ちが残った。

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 なかなか寝つけなかったある晩、急に思い立って写真の整理を始めた。懐かしい写真が、次から次へと出てくる。私は別にカメラ・マニアではないのに、なんでこんなにたくさんの写真があるのかと、不思議に思ったほどだ。そのどの写真の中でも、彼は生き生きとした表情をしていた。素顔に浴衣姿だったり、きっちりメイクをして衣裳を着ていたり、もうほとんど酔っ払いくんになっていたり、いろんな彼がこっちを見ている。写真を見ていたら今はもう忘却の彼方になっていたいろんな思い出が一気によみがえってきて、なんともいえない気持ちになってしまった。もうすっかり忘れていたその時のエピソードや彼のセリフが、まるで映画みたいに次々浮かんでくる。気がついたら、すっかり夜が明けていた。その後、テレビ埼玉の「HOT WAVE」スペシャルの追悼番組に星子さんと一緒に出演することになり、「もし使えるのなら」とディレクターに依頼されて、当時のプライベートなビデオ・テープをもう一度見直すことにした。私は本来ビデオにもあまり興味がないのだが、その当時ハンディ・カメラを買ったばかりだったからか、彼が写っているテープが何本も残っていた。「無言激」の打ち上げの時のビデオなど、酔っ払った星子さんの服に彼がいたずらがきをするところを、延々と90分も録っているだけ。他にも代々木で「出演者はスタッフで観客がミュージシャン」という彼発案のシークレット・ライヴをやった時や、温泉に行った時のビデオなど、何の脈略もなくただ単にその場の光景を映しているだけのビデオ。もちろん、それらのビデオは録りっぱなしで、こういう理由でもなければ私自身見る機会があったかどうかわからない。
けれど、あらためてそれらを見て、とても不思議な気持ちになった。一緒に写っている私はまだここにいるのに、画面の中で隣に座って話をしている彼はもうどこにもいない。なんだか、狐につままれたような気分になる。やっと自分の気持ちの整理がついて落ち着いてきてるはずなのに、また実感がなくなってこれはやっぱり嘘なんじゃないかと思えてくる。もしかしたら、写真やビデオってとても残酷なものなのかもしれない。

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 Xというバンドは、私にとってとても大きな存在のバンドだった。彼らと出会ったことによって自分の仕事の方向性が明確になったし、とてもたくさんの出会いがあった。もちろん、他にも親しいバンドはいくつもあったけれど、私自身がものすごく大きな影響を受けたという意味では、他の何者とも比較ができない。バンドの仕事でテレビのスタジオに行ったのもXが初めてだったし、東京ドームの楽屋に入ったのも初めてだった。知り合いの曲がシングル・チャートの1位になったのも初めてだったし、私の周りの誰もが(親まで)知っているロック・バンドも初めてだった。今では多くのバンドが普通にやっていることを、彼らはひとつひとつ自分たち自身の手で築き、切り開いてきたのだ。彼らの活躍を傍らで見続けてきたこの10年間はとても刺激的で楽しかったし、本当にいろんなことを得ることができた。個人的に親しくしていたことで、表面的にはわからない彼らの努力や挫折や友情なども知ることができた。それを少しでもファンの人に伝えたいという気持ちで多くの原稿を書いたし、その手応えがいつも予想以上に大きかったから、それがまた私のエネルギー源にもなっていた。だから、昨年、Xが解散した時には、自分の中で一つの時代が終わったと非常に強く感じた。10年という時間も区切りに思えたし、ちょうど私の仕事の内容も少しずつ変化し始めていた。なにより、あんなにしょっちゅう会っていた仲間たちとももうほとんど会わなくなっていた。四六時中一緒にいた仲間たちが、仕事を変えたり違う土地に行ってしまったり、その他いろんな事情でバラバラになってしまっていた。彼とも、以前のようには遊ばなくなっていた。だから、余計に強くそう感じたのかもしれない。

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 10年前にXと仲良くなったのがきっかけで、たくさんのバンドやミュージシャンと親しくなった。ライターとミュージシャンという垣根を越えて、いろんな話ができるようになれた人も少なくない。中でも、彼の存在は大きかったと思う。いつも仲間に囲まれていた彼は、率先してたくさんのミュージシャンを紹介してくれたし、身内の宴にも気軽に呼んでくれた。某硬派のミュージシャンから、「俺、あの頃、業界の人間が大嫌いだったから、なんで暁美ねーさん(彼は私のことをこう呼ぶ)がいつも身内の飲み会にいるのかわかんなかったけど、HIDEちゃんがこれだけ仲良くしてる人なんだから、悪い人じゃないんだろーなって思ってた」と、ストレートにいわれたことがある。きっと、他にも同じようなことを思ってた人は多いだろう。彼のおかげで10回は会わなければ崩せなかった垣根を、たった1回でとっぱらうことができたとか、そういうことはたくさんあったと思う。それは私に限らず、彼の周りにいた人みんなが感じていたことなんではないだろうか。

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 私はとてもアマノジャクなので、「あの頃はよかった」なんて昔を懐かしむのが大嫌いなんだけど、ここで一度だけいっちゃおうかな。あの頃は楽しかったねって。毎晩エクスタシーの仲間たちと飲んで騒いで、夢を語り合ってた頃。「地獄の軍団」なんて自分たちで名前をつけて、飲んじゃあ面白いことを探して大ハシャギしてた頃。みんな若くて夢と希望がいっぱいで、はじけそうだった。そして、その真ん中には、いつも必ず彼の姿があった。こんなふうに書くと夜8時台にやってるテレビ・ドラマみたいに聞こえるかもしれないけれど、本当にあの頃のことをそのままドラマにしたら、どんな番組よりもカッコいい青春群像ドラマができあがるんじゃないかな。当時、私は既に大人な年令になっていたけれど、彼らと一緒にいるだけで、まるで十代の若者に戻ったみたいに毎日が刺激的でパワフルで楽しかった。「二度目の青春」なんていうとババくさいけど、私にとっては本当にそんなふうに思えるほどキラキラしている日々だった。もちろん、今だって楽しいけれど、やっぱりあの頃と比べると落ち着いちゃったかな。最近は、朝までなんてとても飲めないし、「飲むっしょ!」って掛け声をかけてくれる人もいないもんね……。

hide ちゃん

 「俺、あけぴいの結婚式の時、招待者の席じゃなくて親族の席に座って、お父さんと一緒に泣くんだ」といってた彼。「知り合いのミュージシャンを全部呼んで、日本一派手なパーティを開いてやるよ」といってた彼。でも、そういったあとで必ずあのいたずらっこのような顔になって、「でも、集まったメンツを見て新郎がビビって、すぐに別れちゃったりしてね〜」とか、「まぁ、結婚式は一人じゃできないから、それだけはいくら俺でもなんともできないなぁ」とか、憎まれ口をたたいては笑っていた。バカバカ、HIDEちゃん。約束、どうしてくれんのよ!

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