[ROCK'N ROLL DIARY]
2000.08.14更新
2000年7月31日
 成田空港から、打ち合わせに直行。そのあとは、ライヴ。おかげで、時差ボケてる暇もない。最近はあんまり時差ボケにならないなと思ってたんだけど、忙しいとならないものなのかもしれないね。そのかわり、異常な食欲。普通 は疲れると食欲が減るものなんだけど、わたしってばいったいどうなっているんでしょ。
2000年7月30日
 朝早く起きて、帰国のために空港へ。カウンターで座席指定券をもらおうとしたら、なぁぁぁんと飛行機のチケットが見当たらないのだぁ! 真っ青になってバッグをひっくり返すわたしの横で、UME「キメる時は、キメてくれますね〜」と、大笑い。あんなに何度も、「チケット、なくしちゃおうかな」っていってて、それをそのまま実行してしまうなんて……。ああ、これからはどんなにボケ・キャラといわれても、もう反論できないかもしれない(涙)。でもって、しようがないから、その場で片道の航空券を購入。そろそろ渡航回数は100回近くになってるはずだけど(最近は、もう数えてない)、こんなドジは初めてだわ。もぉ、悲しい……。
2000年7月29日
 この日は、YOSHIKI の出ないシーンをスタジオで撮影する。1回目よりもさらにサイバーなセットで、出演するモデルさんもカッコいい。お昼過ぎにはYOSHIKI もスタジオに現れて、いろいろとチェックしている。なにしろ、このCFの台本を書いたのは、YOSHIKI 本人だからね。それからしばらくして、彼が「待ち時間を利用して、取材をしようか」という。今回も前回と同じく撮影終了後にインタビューになり、きっと終わるのは夜明けで、わたしは一睡もしないで空港に行くんだろうなと覚悟していたので、YOSHIKI のこのひとことはまさに天使の言葉に聞こえた。今回の取材は、真面目な話半分、プライベートな話半分。YOSHIKI の家って、どんなの?」とか、「普段、何食べてんの?」とか、なかなか聞けないようなこと、いっぱい話してもらっちゃった
 YOSHIKI は、「こんなこといっちゃって、いいのかな」とか「あんまり話すと、嫌味にならないかな」とかいいながらも、結構、いろいろ話してくれたよ。スタッフが「そろそろ時間です」といっても、「あとちょっと、大丈夫でしょ」といってくれたくらい。午後3時にすべて取材が終わったなんて、夢見たいだー!
 さて、仕事が終わったのですっかり気が楽になって、そのあとはスタジオにいたGEORGEUME とおしゃべり。そしたら、二人はわたしのことを「ボケ・キャラ」だっていうのよ。たしかにボーっとしてること多いし、よく転ぶしドジるし、誰かがギャグをいっても全然わからないけど、ボケ・キャラなんてひどすぎる……と思っていたら、それを証明するような大事件が起きてしまったのだ(涙)
 3人で雑談しながらROCK CITY NEWSっていう新聞を読んでいたら、8月3日にPOISON(ゲストあり)、シンデレラ、ドッケンが出るイベントがあることを発見してしまったの。オーシマ的には、かなり見たい組み合わせ! GEORGEUME はまだいるので見に行く相談をしてて、わたしはずーっと「いーなぁ、いーなぁ、わたしも行きたいな」っていってたのよ。「飛行機のチケットなくしちゃったら、見に行けるかもね」なんて、何回も何回も。そしたら……。
2000年7月27日
 またまた4日ほど前にいわれて、YOSHIKI に会うため、LAに出張。2回目のセブン・イレブンのCF撮影が急遽決定し、それにあわせてインタビューができるというのだ。LAに着いてから、とりあえず食事に行くことになる。その店で、わたしはToshiyaくんがおいしいといってたアボガド・バーガーを注文。そしたら、想像してた以上に巨大なハンバーガーにちょこんとアボガドがはさまってる物体がでできた。いや、よく見たらアボガドも1個分くらいはたっぷりはさんであるんだけど、他が大きすぎるのでそう見えないのだ。それをね、わたし、全部食べちゃったの。あの大食漢で知られるUME が隣で「でかすぎる」とかいってるのに、ついパクパクパクと……。どうやら離日前からずーっと忙しくて、寝不足と疲労で食欲を管理する脳に霧がかかってしまったみたい。しかも、食事が終わったあと、CF撮影の日程が8月1日に延びたという情報が……。わたし、30日には帰らなくてはいけないのに。くすん、くすん。のっけから、きついお達しである。でも、クヨクヨしててもしようがないから、食事が終わったあとはホテルのプールでしばしお休みタイム。相変わらず、のー天気なオーシマである。
2000年7月24日
 Dir en grey全員の取材。5人が待ってる応接室に入って挨拶をしたら、いきなり薫くんが「髪の毛、痛んでますね」とカウンター・パンチ。顔を見た3秒後だったので思わず絶句しそうになるが、なんとか「薫くんにいわれたくはないな〜」と応戦する。しかし、いざ取材を始めようとテレコのスイッチを入れようとしたら、今度は「今日、化粧、濃いんちゃいます?」と、またまたパンチ! う〜。しかも、そのあと、部屋が少し暑かったので、スタッフの人にエアコンの温度を下げてもらうように頼んでから、メンバーに「素敵な人たちを前にしてると、緊張で暑くってね」といった瞬間、「何いってんですか! もーどーでもいいって感じですよ」(Die)、「緊張のきの字も見えない」(Toshiya)、「俺たちの前じゃ、何も気にしてないってのがミエミエ」と、総攻撃。いきなりみんなして、そんなにいじめなくたって、いーじゃないかぁ……(涙)
 でもって、そのあと引き続き、謎のバンド邪鬼の取材。このバンド、本当に謎です。ライヴのチケット代が50万円、30曲入りソノシートの値段が100万円って、いったい……!?

2000年7月20日
hideミュージアムのオープンの日。休日だし、海に行く道はきっと混んでいるに違いないと思って、家をかなり早目に出たら取材受け付けの1時間も前に着いてしまった。オープンに向けてスタッフがてきぱきと仕事をしている事務所の隅に座らせてもらい、ぼーっと時間がくるのを待っている。しばらくすると、真っ赤な目をしたHIROSHIさんがやってきた。「寝てないんじゃないですか?」と尋ねると、「完徹なんですよ〜」という。でも、「目が真っ赤ですよ」といったら、「ウサギちゃんと呼んでください」と明るい答えが返ってきた(笑)。
hideミュージアムの中には、「えっ、こんなものまで?」と思えるような貴重な品々がたくさん。パスポートにはってあるhideちゃんの小学生時代の写真なんて、なかなか見るるものじゃない貴重品。その他にも、「よくこんなものまでとってあったなー」と思うものがたくさんあって、本当にご両親はhideちゃんのことを愛していたんだなとあらためて痛感する。スペース的にはそんなに広くはないけど、内容はとても充実していて、一つ一つゆっくり見るにはかなり時間が必要。海の近くにあって場所的にもとても気持ちのいいところなので、みなさんも、是非。
2000年7月18日
ジャンヌのメンバーにたこ焼きを作ってもらうという、かなり大胆不敵な企画の取材。
なぜかレコード会社の屋上でメンバーはたこ焼きづくりに挑戦したのだが、その手際を見る限り、どう贔屓目に見ても料理がうまそうなメンバーは一人もいなかった。「男の料理なんて、こんなもんです」といいながらかなりおおざっぱに作っていたYASUは、途中で「もう飽きた」と屋上のてすりにのっかって遊んでいる。そのうち、いちばん端に行って、屋上の際を平均台みたいに歩き始めちゃったの。もちろん、ちょっとでもよろけて落ちたら、絶体絶命。それを発見したレコード会社の人は、「お願いだから、やめてくださぁい!」と、真っ青になって悲鳴を上げていた。しかも、そのあともYASUは料理には参加せず、ポケッとみんなの様子を見学してるわたしに向かって、「ホンマは、いったいいくつなんです?」「なんで、結婚せぇへんのですか?」「でも、今までに結婚しようと思ったことはあるんでしょ?」と、ものすごいストレート直球をバシバシ。思わずわたしが絶句してしまっていたら、「僕、いいたいことなんでもいってしまって、それで人に嫌われるんですよね」だって。う゛〜、嫌っちゃいないけど、あまりにもストレートに聞かれると、なんて答えたらいいのかわからないのさ。自分でも忘れちゃってることが、多いからね(笑)。
2000年7月17日
LADIES ROOM東京ヤンキースという濃〜い方々と、焼き肉を食べに行く。昔、彼らがデビュー前によく某誌編集者に連れていってもらった思い出の店に行こうと、NAOがみんなに連絡を取ってセッティングしてくれたの。店に着くなり、当時の担当者H氏はものすごい量 の焼き肉をオーダー。「いくらなんでも、そんなに食べられないんじゃないの」とわたしがいったら、U.D.Aちゃんも「俺らも若い頃みたいには食わなくなったから、そんなにはいいっす」といって、オーダーの量 を少し減らした。だが、食べ始めたら、やっぱり最初にオーダーした分はあっという間にペロリ。何回か追加をしたのだが、それでもデビュー当時に比べると食べる量 は相当減ったそうだ。みんな「俺らも、大人になったから」といってたけど、お酒の量 は相変わらずだった。ヘヴィな一夜であった(笑)。
2000年7月16日
LUNA SEAのコンサートを見るため、横浜アリーナに行く。昨日から始まった全国ツアーの二日目だが、ニューアルバムの曲を中心にした構成で、言葉にならないほど圧倒的な存在感を見せつけてくれる。終演後、メンバーは会場内のホールに集まった大勢の関係者へご挨拶。久しぶりにSUGIZOに会うと、「メール、見たよ〜! 嬉しかったから、電話しようと思ってたんだ」という。実は、5月にマイケル・モンローの取材をした時、ちょうど彼がSUGIZOが表紙の雑誌を読んで(見て……?)いたの。それで、「こいつは、クールだ。いったい、なんてヤツだ」って聞くから、「LUNA SEAというバンドの、ギタリストのSUGIZOだ」って教えてあげたのね。そしたら、「ん〜、カッコイイ。面 構えがいい」と、べた賞めだったのだ。それをメールで伝えたのを、SUGIちゃんは覚えていてくれたというわけ。たしか、SUGIZOってマイケル・モンローのこと好きだったと思うんだけど、昔、憧れてた人からこんな風に誉められたらやっぱり嬉しいよね。久々に見た無邪気なSUGIZOスマイルであった。

2000年7月14日

 午後のいちばん熱い時間、ふつーの建築関係のお仕事してる人と新宿を歩いていたら、向こう側から金髪でアロハシャツ着て腕に刺青を入れたこわそーなお兄ちゃんが……。なんと、それはGEORGEだった。「やあやあ」といつもの調子で話していたんだけど、気がつくとすぐ隣にいたわたしの知り合いはずっと遠くに離れていていて、不審そうな目をしてわたしたちのことを見つめていた。ま、それも仕方ないと思うけどね(笑)。
 夕方から、Gacktくんの取材。彼はちょっと疲れてたみたいだったけど、いつものように取材を始めると熱心に自分の気持ちをいっぱい語ってくれた。それで、取材が終わってからしばらく雑談してたんだけど、その時に彼が「冬の恋はすぐに終わっちゃうけど、夏の恋は長続きするって知ってる?」というの。「それって、逆じゃないの?」といったら、「だって、夏の出会い(ビーチ)は会った瞬間からお互いに下着も同然な格好をしてるわけで、普通だったらSEXをした後しかそんな状態にはならないわけでしょ。それだけ最初から、普段見せないところを見せあってることになる。でも、冬の出会い(スキー場)はお互いに身体どころか顔もほとんど隠れている状態で、しかも、回り中レフ版(カメラマンが写真を撮る時、被写体の顔に光を当てるための道具)だらけみたいな状況で、そんなところで生まれた恋が長続きするわけがなぁ〜い!」と、取材中と同じくらい熱っぽく力説していた。あまりにもそのことを強調するから、「どーして、Gacktくん、なんか思い出があるんでしょう?」と突っ込んだら、「うふふ」と意味深な笑いを残して彼は去っていた。ん〜、あの笑顔の意味はいったい……?

2000年7月13日

 夜、レッド・ウォリアーズのライヴを見に行く。そしたら、超〜お久しぶりのMINATOに会った。彼は元DEAD ENDのドラマーで、スタジオ・ミュージシャンとしても超売れっ子の人。わたしの大好きなドラマーの一人なんだけど、ここ数年ちょっとご無沙汰してたんだ。久しぶりに会ったMINATOは、昔とちっとも変わってなくてすごく嬉しかった。「レッズのツアーで、2回くらいたたくんだ」といってたけど、MINATOがドラムのレッズのステージ、絶対に見てみたいよぉ! 東京はこの日で終わっちゃったからきっと地方のライヴなんだろうけど、追っかけしちゃおうかな……。

2000年7月11

 最近、プラな日々を送っています。前にもお伝えしたように、茨城放送栃木放送でプラと一緒に番組を始めたので、その打ち合わせやら収録やらでしょっちゅう会ってるの。この番組、かなりアバウトな作りで、行き当たりばったりというかやりたい放題というか……(笑)。まぁ、かなり脱線しながらも自由に遊んでますので、聞こえるとこの人は聞いてね。リクエストや質問なんかも、受け付けてますよ〜! 
 それでね、その中でAKIRAくんが「僕がロックンロール日記に登場する回数が少ない」と、文句をおっしゃるの。「毎月、RYUTAROTADASHITAKASHIの名前は必ず出てくるのに、なんで俺の名前はないんじゃあーい!」って、マイクの前でおたけぶのだ。いやー、そういわれてもねー。ネタになるような面白いこととか変なことしてくれれば、必然的に登場回数は増えると思うんだけどな……って書くと、まるでAKIRAくんが変なことしないみたいにとられちゃうかもしれないけど、十分過ぎるほどユニークなキャラなんだけどね。
 さて、この日はラジオじゃなくて、雑誌の取材。でもって、またRYUTAROが変なことするんだよぉ。取材中に煙草の空き箱を使ったユニークなオブジェをシコシコ作ってて、いつものようにスーパーリーダーが真面目にインタビューに答えてる時に限って、それをみんなに見せて爆笑させるの。取材が終わった時にRYUTARO「これ、記念に持って帰ってください」っていうから、「じゃ、サインしてよ」っ頼んだら「あけぴー用」って書いて、「家の玄関に飾っておけば、魔除けになる」といっていた。どっちかというと、魔除けっていうよりも魔招きって感じがしなくもないけど……。簡単に説明すると、ハワイとかに行くとお土産で売ってる「逆さにすると服が脱げたりして、エッチな写真が見えるボールペン」みたいなものなんだけどね。あ゛〜、写真に撮って、この作品(?)をみんなに見せたいよぉー。

2000年7月9日

 今日、「知ってるつもり」でhideちゃんをとりあげていた。わたしはこの番組に資料提供していたので(最後に、チラッとだけ名前が出てた)、やることは知ってたんだけど、いざ番組として見るとあらためて「ああ、hideちゃんって、本当にいないんだ」って実感してしまった。だって、この番組って、亡くなった方ばかりをとりあげているんだよね……。
 「何をいまさら」って笑われそうだけど、なんだか本当に実感がないまま、2年以上もの時間が過ぎてしまったの。前にも書いたと思うけど、最初はまったく信じられなくて、1年くらいしてから徐々に実感が沸いてきた。LAに住み始めてからは半年くらい会わないこともしょっちゅうあったから、どーしても長く向こうにいるような気になっちゃってね。実は、今月号のSHOXXから3号続けて「hideのいた風景」というエッセイのような連載をすることになっているの。1回目のテーマは「西麻布」でもう原稿は書き終えて、それを読んだ弟のヒロシさんから「やっぱり大島さんが原稿を書くと、お酒の話題が多くなりますね」という伝言がきてた。だってさー、テーマが西麻布なんだもん(笑)。だけど、今回は書くのが辛かったな。なんでだろう、理由はよくわからないけど……。

 先月、韓国のロック雑誌のインタビューを受けた。韓国の読者からは時々メールをいただくので、日本のバンド……特にビジュアル系が人気あるのは知ってたけど、いただいた「Rock’n JAPAN Magazine」という本を見て、驚いた。だって、日本の音楽誌よりも詳しいほど、いろんなバンドの記事が載っているんだもの。それで、今までのライター生活で印象に残っているエピソードとかをいろいろ質問されたんだけど、気がつくとhideちゃんの話ばかりしてた。hideちゃんは韓国でも人気があるそうで、編集者さんはとても喜んで聞いてくれてたよ。もうすぐ、記念館もできあがるんだよね。その頃は、ちょうど梅雨明けだなぁ……。

2000年7月1日

 Gacktくんのツアー・ファイナルを見るため、横浜アリーナへ。代々木とはかなり演出も違っていて、途中でGacktくんがバースデー・ケーキのろうそくを吹き消すシーンなどもあり、アットホームでありながらも感動的なライヴだった。終演後は会場内のホールで大々的な打ち上げパーティが行われ、全国から集まった関係者がGacktくんにお疲れさまの声をかけていた。その時、マイクで挨拶したGacktくんの声は、ガラガラ。ライヴですべての力を使い果たしたという感じで、なんとなく足元もおぼつかないようだったけど、「ここに来てくれた全員と挨拶したい」という本人の希望で、何百人もの人たちにちゃんと挨拶をして回っていた。ホント、彼のこういう律儀なところには、頭が下がるよねー。
 それで、わたしはおうちに帰って少し仕事をして、寝る前にバッグの中を見たら1通の封筒が入っているの。「なんだろう?」と思って開けてみたら、「打ち上げの招待状」だった。ガーン……。レコード会社の人が「今日は打ち上げがあるから、絶対に来て下さいね」といってたんだけど、わたしはてっきりホールであった打ち上げのことだと思っていたのだ。だから、さっさと帰ってきちゃったんだけど、さらにそのあとがあったとは……。このHPあてにGacktくんの生の声をいっぱい教えてください」とたくさんの方からメールをいただいているんだけど、ごめんなさい、そんなわけで今回はちゃんと彼とお話できなかった。わたしってば、ホントにお馬鹿……。明け方、一人でへこんじゃいました。えーん(涙)。


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