2002年9月27日 | |
生まれてから二番目というくらい、緊張する仕事があった。終わったのが夜中の12時、OKが出たのが翌朝の5時。前日、ほとんど寝てなくてボロボロの姿をka−yuくんに目撃され、「ゾンビみたい」といわれる。いや、あの時の姿はゾンビよりももっとひどかったかもしれない……。 |
2002年9月25日 | |
La’cryma Christiのインタビュー。実は、ライヴの数週間前、うちに「パート・チェンジでやりたいから、『限界ラバーズ』(SHOWYAの大ヒット曲)のCDを持ってないか?」という電話がかかってきたんだ。その時は「TAKAが歌うのかなぁ」と意外に思ってたんだけど、実はKOJIくんに歌わせようとするメンバーの企みだったらしい。今回はKOJIくんの必死の抵抗でことなきを得たのだが、相変わらず次は彼に歌わせようとSHUSEは「次は必ず歌いますって書いといて」と、連発していた。もちろん、当のKOJIくんは「絶対歌わへん」「歌わないためだったら、何でもする」と徹底抗戦の構え。果たして、KOJIくんがみんなの前で歌声を披露する日はやってくるのか? 興味は尽きないところである。 |
2002年9月24日 | |
JO:YA PROJECTの取材。すいません、自分のMDウォークマンにカラオケ機能なんて洒落たものがついているのを知らず、もらったMDに「ヴォーカルが入ってないよぉ〜」とイチャモンをつけた大馬鹿者はわたしです。JO:YAくん、SHUNくん、TADAMITSUくん、大変ご心配おかけしました。ごめんなさい! |
2002年9月23日 | |
たいして飲んでないつもりだったのに、なぜか軽い二日酔い。しかも、こういう日に限って、収録が午前中にある。この日のゲストは、VanillaとSEX MACHINGUNSのHIMAWARIくんとPANTHERくん。でもって、わたしは大ボケをかます。めちゃくちゃ落ち込み、「もー絶対に収録の前日に酒は飲まないぞ」と固く決意する。そういえば、Vanillaの収録中、スタジオのうしろのほうにいたHIMAWARIくんがアシスタントの女の子二人に話しかけていたのね。あとで、彼女たちに「ナンパされてたんじゃないのー」といったら、彼は「僕たち、本当は4人組なんだけど今日は二人しかいないから、よかったら一緒に出ませんか?」といってたらしい。HIMAWARIくんって、ホントに面白いよね。 |
2002年9月22日 | |
Plastic Treeのライヴ。NHKホールを揺るがすような熱いライヴだった。よかった、よかった(^−^)。翌日、HOT WAVEの収録のため、飲み過ぎないようにとTAKASHIくんたちと2時で終わる飲み屋に行く。飲み過ぎないようにって、気をつけてたつもりだったんだけど……。 |
2002年9月19日 | |
La’cryma Christiのライヴ。TAKAのインディーズ時代の衣装を着た姿や、パート・チェンジの「ママ・キン」などファンクラブ・ライヴならではの企画があり、楽しかった。HIROのヴォーカルぶりも、板についてたしね〜(笑)。終わってから用事があったので、終演後すぐに楽屋に挨拶に行くと、ヴォーカリストHIROさまはぐったりと椅子の上に仰向けに倒れてた。パート・チェンジの時、みんな皮ジャンやサングラスをしてたので、「エアロスミスというよりも、ラモーンズみたいだったよ」といったら、KOJIくんに「僕らはガンズのつもりやったんだげとなー」といわれてしまった。そっか。ラクリマのメンバーにとって「ママ・キン」といったら、ガンズなのね。古くて、すいません(涙)。 |
2002年9月18日 | |
久しぶりに懐かしい仲間たちと、懐かしい餃子屋に行く。やっぱりおいしい。たくさん食べて、たくさん飲んだら、電車で帰るつもりだったのに朝だった(涙)。 |
2002年9月12日 | |
お昼過ぎに、岡野氏と一緒に某レコード会社で打ち合わせ。で、わたしが「この後の仕事は夕方からで、時間があいちゃってるんだ〜」といったら、「じゃ、Janne Da Arcのスタジオで遊んでればいいじゃん」といわれる。岡野氏は、ちょうどジャンヌの次のシングルのプリプロ中だったのだ。スタジオに行くとメンバーはブースの中で、まじめ〜にプリプロ中。KIYOくんの曲をアレンジしている最中で、わたしがスタジオにいた2時間の間、みんな一度もブースから出ないでずーっと作業をしていたよ。今までのジャンヌの曲とは一味違うカッコいい曲だったので、完成が楽しみ! |
2002年9月10日 | |
GacktくんとHYDEくんが主演する映画「MOON CHILD」の記者会見。会場に行くためにエレベーターに乗ったら、狭い箱の中にエゴイストの香りが充満していて、それだけで「あ、もうGacktくん、来てるのね」とわかってしまう(笑)。記者会見の中では、HYDEくんが「撮影中に寝ててぱっと目を覚ましたら、目の前にGacktくんの顔があって、『なんだ、キスしようと思ったのに』といわれた」なんてゆーおいしい(あぶない?)ネタも披露されてたよ。公開は来年の5月だなんて、もぉ待ち遠しいよぉ! |
2002年9月9日 | |
TAKASHIくんと飲みに行く。「焼き鳥を食べたい」と焼き鳥屋を捜していたのだけれど、雨が降っていたので奄美の料理を出す居酒屋に入る。いい感じの店だったんだけど、別のテーブルで飲んでる人が声をかけてきて、それはアースシェイカーのマネージャーさんだった。しかも、そのあと、どんどん業界人っぽい人が増えていくの。カウンターでレコード会社の不況のリストラの話をしてるかと思えば、うしろの座敷では「マネージャーとは」みたいな話をしてる。ん〜、なんでふつーの居酒屋なのに、こんなに業界人が多いんだ??? |
2002年9月8日 | |
二日酔いで一日中寝たり起きたりしてたら、夕方、yasuから電話。ZIGGYの15周年ライヴを野音に見に行こうと話してたのに、ついついわたしは半分忘れてぐーたらしてたの。yasuも「身体中が痛いから、ずっと寝てて今起きた」といってたけど、片や武道館で2時間半のライヴをやった翌日、片やお気楽にライヴを楽しんで夜中まで飲んでただけ。自分のダメ人間さ加減が、マジにちょっと悲しかった……(涙)。でも、ZIGGYのライヴはすっごい楽しくて、とてもハッピーな時間を過ごさせてもらった。15年前のデビュー・ライヴに行って、朝までメンバーと飲んだこととか思い出したりして、懐かしかったなぁ。今もバリバリ頑張ってて、「もう一度武道館をめざす」という彼らは、本当にカッコいいと思うよ。でもって、「高校生の時にZIGGYのコピーをやってた」というヤチュリンは、やっぱり森重の前に出たらカチンカチンに固まってしまっていたよ(笑)。 |
2002年9月7日 | |
Janne Da Arcの武道館ライヴ。開演前に指定された席につくと、あとから隣にやってきた女性に「このチケットは、ここの席でいいんですか?」と尋ねられた。ふっと顔を見ると、yasuとおんなじ顔してる! 「あ、この人、yasuのお母さんかも」と思っていたら、ライヴ中のMCでyasuが「お前ら、お父さんとお母さんを大切にしろよ! お母さん、ありがとう!」といった瞬間、その女性は可愛くテレていた。それにしても、一目でわかるくらい、yasuにそっくりなお母さんだったよ。 |
2002年9月4日 | |
最近、少しでも歩くようにしている。忙しくてスポーツクラブをやめてしまって久しいので、何か運動しないと肥える一方だからね。で、家から代官山まで約45分かけて歩いた。タクシーに乗ったら、1500円くらいの距離。店に着いたら喉が乾いて、ビールを一気飲み。あ〜あ、これじゃあ、意味がないよねぇ……。 |
2002年9月3日 | |
Plastic Treeの取材で、TADASHIくんとブッチくんにインタビュー。ブッチくんに取材するのは二回目なんだけど、歯に衣着せずにストレートに発言するので、とっても面白い。今は一人だけ都内からちょっと離れたとこに住んでて、他のメンバーよりも早起きをしなければならないブッチくん。「ようやく引っ越しするんですよ」と喜んでたけど、これで少しは寝坊ができるかも。よかったね! |
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