2003年1月27日 | |||
HOT WAVEの収録。この日のゲストは、ザ・シャイニングウィザードとLa’cryma ChristiのTAKA。ザ・シャイニングウィザードからは、昇歌くんと |
2003年1月26日 | |
渋谷公会堂へ第十四帝国を見に行く。元帥さんがこの間飲んだ時にいってた通り、「これでもか」というくらい回り舞台を回していたよ〜。回り舞台をたくさん回すために、あの台本を書いたのかも……(笑)。約3時間半の舞台のあと、会場入り口でお客さんを全員見送って、気軽に写真撮影などにも応じていた彼ら。楽屋で会ったら開口一番「疲れたよぉ〜」といってたけど、本当にお疲れさまでした! 前の日記でも書いたけど、ニッポン放送のインターネット・ラジオで、元帥さんの約30分のインタビューが聞ける……いや、見れるよ! アドレスはhttp://www.lfx.jp/で、「荘口隊長のIT探検隊」の中にあります。わたしも捜しちゃったので、見つからなかった人のためにも一度ご案内。 |
2003年1月22日 | |
ニュー・アルバム「ANOTHER STORY」を完成させたJanne Da Arcの取材。会った瞬間に「お年玉、ちょーだい」というyasu、取材中に雑誌を読んでたので注意したら「え、お年玉くれるんですか」とのたもーたka−yuくん……と、相変わらずな面々である(涙)。で、yasuは新年早々大ボケを二連発し、それに気がついたka−yuにしっかりチェックを入れられてた。大ボケその1は「リアルタイムで聞いていた」といおうとして「タイムリーで聞いていた」、大ボケその2は「アピールしたかった」を「アプローチしたかった」。なかなかお茶目なボケぶりのヤチュリンだけど、雑誌を読みながらもyasuの間違いに気がつくka−yuも鋭いかも(笑)。 |
2003年1月18日 | |
アート・サプライという会社から、わたしが87年に忌野清志郎にインタビューした記事を、「シンプジャーナル・ベストセレクション」という書籍に転載したいというFAXが届いた。シンプジャーナルは、68年から90年まで発行されていた老舗の音楽雑誌で、わたしも時々記事を書いていた。でも、「清志郎さんにインタビューしたことなんて、あったっけな〜?」と思って一緒に送られてきた昔書いた記事を読んだら、86年の秋にロンドンに行った時、友達のツテでレコーディングしている清志郎さんのスタジオに遊びに行き、そこでインタビューをさせてもらったのを思い出した。この時はNY〜ロンドン〜NYと3ヶ月も遊び回っていて、いろんなミュージシャンのスタジオやライヴに顔を出してたな〜。まだ音楽バブルがはじける前で、たくさんのミュージシャンがロンドンやニューヨークに行ってたからね。超懐かしかった〜!! |
2003年1月15日 | |
なんだか毎年恒例になりつつある(?)TAKASHIくんの誕生日。ホントは久しぶりにみんなを呼んで鍋パーティでもしようと思っていたのだが、ギリギリまで某所にいて翌日も朝7時に家を出なくてはという過酷な予定が入っていたので、例の奄美大島飲み屋でお祝い。プレゼント(?)に好物の黒糖焼酎の一升瓶をボトル・キープしたんだけど、TAKAちゃんはテーブルの上に置かれた一升瓶を見て、「のんべぇみたいで、なんか恥ずかしい」と妙にテレていた。結局、半分以上飲んじゃったんだから、何が「恥ずかしい」んだか、よくわかんないけどね〜(笑)。 |
2003年1月14日 | |
柳ジョージさんの取材で、東京ドームで行われるマスターズ・リーグ始球式に行く。この会場にはライヴでしか来たことがないので、緑色の人工芝がめずらしい。有名な往年の名選手がたくさんいらしたらしいんだけど、なにしろ現役の野球選手だってまったく知らないスポーツ音痴のわたしゆえ、誰が誰だかさっぱりわからなかった……。 |
2003年1月12日 |
|||
一ヶ月以上もわたしのお部屋を飾ってくれていたクリスマス・ツリーを、片づけることにする。 昨年末に購入したマッサージ・チェアが届いたので、部屋が狭くなったからさ。でも、YURAさまが作ってくれたネズミくんをこのまま捨てるのはあまりにも惜しいので(なにしろ処女作)、ここで公開しちゃおー。可愛いでしょ? |
2003年1月11日 | |
横浜で打ち合わせをしたあと、Dir en greyの横浜アリーナへ。スタンディング席の真ん中に三色のシグナルがあって、お客さんが危ない状態になると赤ランプが点灯するという万全の安全体制をとってのライヴである。最近、彼らのライヴはいつも超ハイテンションで、見ていて元気になる。「DRAIN AWAY」は、いい曲ぢゃ。それにしても、急に髪が伸びた京くんのあのヘアスタイルは地毛? そして、薫くんのシッポはどこへ? |
2003年1月7日 | |
ロンドン在住の元hideちゃんのスタッフ小島Dカップまゆまゆ嬢が、正月帰国しているので会おうということになってたんだけど、連絡の行き違いでお目見えできず。昨年末にも感じたことだけど、携帯がないって本当に不便だよね〜。残念ぢゃ。 |
2003年1月4日 | |
Jの武道館ライヴ。昨日、ミカリンに開演時間を聞いたら6時半といわれていたので、夕方ゆるゆる出かける支度をしていたら、5時20分に「ごめん! 開演は6時でした」というメール。えーっ!! あと40分しかないじゃないよぉ! 大慌てで家を飛び出し、車を飛ばして武道館に駆けつける。お正月休みの東京の道路はとってもすいていたけど、これでまたスピード違反で捕まったら、ホント、ギャグだよね。しかも、昨日、開演時間を6時半といってたのは、J本人だったんだって! うう……。でも、ライヴはとってもよかった。新年早々、良いもの見させてもらいましたという感じ。で、打ち上げで、新年早々泥酔。なぜか、Jの打ち上げでの泥酔度は高いよーな気がする。いえ、もちろん、悪いのはわたくし本人なんですけどね……。 |
2003年1月3日 | |
ミカリンから「風邪で倒れて、年が明けてから何も食べてない」というSOSメールが入ったので、救急病院に連れて行く。それほど体調が悪いのに、明日のJくんの武道館ライヴの下見で、今日も武道館に行ったといってた。明日も仕事でどうしても武道館に行かなくてはならないといったら、きっとお医者さんが点滴か注射をしてくれるだろうと思っていたのに、「ゆっくり寝て、大事にしてください」と薬をくれただけ。ゆっくり寝てられないから、病院に行ったのに〜! こういう時、ピンチヒッターを頼むことのできないわたしたちのようなフリーの職種の人間に、世間の風は冷たいなと思うよ……。昨年も「ライターになりたい」「スタイリストになりたい」という夢いっぱいの人たちとたくさん会ったけど、実際に仕事を始めたらたとえ病気で倒れても休めないという非情な現実があることも忘れないでほしいな。 |
2003年1月1日 | ||
|
ロックンロール日記目次へもどる |
---|