[ROCK'N ROLL DIARY]
2009.5.1.更新
2009年4月29日

 ハードな野音日比谷野外音楽堂

 とってもいいお天気だったので、ビール片手に最初から最後までライヴを楽しんだ。長丁場だったけど、この日に出演したミュージシャンはほぼ知り合いだったので、途中休憩もなく、全部のバンドのライヴを見たよ。

 会場の入り口で関係者に、「今日の打ち上げは、目黒の××だからね〜」といわれ、ライヴ前にもう打ち上げの話をされるなんて、これぞ80年代!!と妙に気持ちが盛り上がる(笑)。

 若手代表のSuGSCREWも頑張ってたし、アースシェイカーのヒット曲メドレーはめちゃくちゃ嬉しかったし、西寺実の「わたしは風」はつい一緒に歌っちゃったし、山本恭司さんの「HERATS ON FIRE」は懐かしさにジーンとしたし、メイクの濃い河村隆一はすごくカッコよくてアカペラとYOUちゃんのソロに感動したし、本当に見どころがたくさんのイベントだった。

 終演後の楽屋も知り合いだらけで、すぐみんながビールをくれようとするのが笑えた(笑)。ほとんどはわりとあちこちで顔をあわせてる人ばかりなのだが、昔よく一緒にスキーに行ってたsun-goとはかなり久しぶり。「もしかして、スキー以来!?」といわれたけど、だったら10年も会ってないことになるな〜。

 すっかり気分が盛り上がって、うちに帰ってからBOWWOWのアルバム引っ張り出して、聞いちゃった!

2009年4月28日

 Versaillesの取材。前日から貫徹で、インタビューが終わった後、ツアーに旅立つという、超過密スケジュールの彼ら。まぁ、いつもこんな感じだからもう慣れっこになってはいるけれど、さすがに今回はメンバー(特にTERUくん)のテンションがおかしかった。KAMIJOくんに「じゃあ、今日は5時間くらいインタビューしちゃおうかな」といぢわるいったら、「それだけは、勘弁してください」とマジに答えられてしまったよ(笑)。

 取材が終わってみんなを送り出し、ボーっと横断歩道を渡っていたら、プップーというクラクションの音。振り向いたら、機材車からメンバーが手を振っていた。一人でホントに油断して歩いていたから、車の中から見たわたしはただのぼんやりとした人に見えたに違いない。いつなんどきとも、シャキっとして行動しなくてはいけないわと、一人で反省。

2009年4月26日

 日曜日のお昼過ぎに、Lidaくんさりのくんと、某駅の改札口で待ち合わせ。とってもお天気がよかったので、Lidaくんはチャリに乗って、カッコよく登場した。彼らと一緒にある場所に行ったのだが、その前とその後に同じカフェに入ったんだ。だって、駅前なのに、他にはまったく喫茶店がないんだもん。でもって、さりのくんがメロンソーダ、Lidaくんがオレンジジュースと、2回とも同じメニューを頼んだのがツボだった。

 その後、リキッドルームSCREWを見に行く。三周年ライヴなので、みんな気合入ってた。すごいテンションでいいライヴになりそうだなと思ったのだが、知り合いのお通夜があったので、後ろ髪を引かれる想いで途中で退出。残念だにゃん。

2009年4月24日

 母親がずーっと前から「行きたい」といってたフジコ・へミングピアノ・ソロ・コンサートに行く。チケットをとったのが去年の秋だったので、「直前になって断れない仕事が入りませんように」と思っていた。

 テレビで見て、彼女のピアノがすごいのは知ってたけど、ライヴは想像以上の迫力と存在感だった。ものすごくテクニックのある人だと思うけど、自分の感情の赴くままに、ミス・タッチも気にしないし、リズムも自由自在。背筋がぞくぞくするとは、こういうことだなって思った。

 ただ下手なだけのバンドが、音程やリズムがめちゃくちゃなことのエクスキューズに、感情を表現したいからと言い訳するのとは、レベルが違うよ(笑)。根っこにきちんとテクニックがある人は、どんなに自分流の解釈をしても、すごい説得力がある。いつも聴いてる音楽とはジャンルが違うけれど、いろいろ勉強になったし刺激にもなって、有意義な夜だった。

2009年4月19日

 甥っ子が、ウランにお線香をあげに来てくれた。毎年、お正月には、必ず、ウランに会いに来てくれた7歳になる甥っ子は、ウランが死んだことを聞いたとき、受話器の向こうで号泣してた。今まで彼が描いてくれた似顔絵には、わたしの横に必ずウランがいた。

ウランの表情が、幸せそうなのが嬉しい。

 今回も、4歳の弟と一緒に絵を描いてきてくれた。羽根のはえたウランが空を飛んでて、たくさんの天使が迎えてくれる絵。嬉しくって、またまた泣いちゃった。ウランを天国に送る機械も、作ってきてくれたよ。ちっちゃな子供の発想って、本当に独創的だよね。

4歳の甥っ子が描いてくれた花に囲まれたウラン 新発明!ウランを天国に送る機械!!

2009年4月18日

 jealkb×コンドルズサンシャイン劇場

 いったいどんな舞台になるのか興味しんしんだったけれど、コント+ダンス+寸劇等々いろんな要素が混ざり合った斬新なステージだった。個人的には、人形劇のシーンがかわいかったなぁ。moftoくん、声優、うまい!!jealkbのみんなもちゃんと振り付け覚えて、頑張って踊っていたよ。あんなにたくさん覚えるの、大変だっただろうなー。

 この舞台、yasuと一緒に見に行ったんだけど、当日の朝、携帯で待ち合わせ時間を決めたのね。そしたら、会った瞬間、「大島さん、猫、飼った?」って聞くの。「ウランが死んだばかりなのに、とてもそんな気にはならないよ」といったら、携帯で話していた時に猫の鳴き声が聞こえたっていうの。「大島さんのすぐ近くから聞こえたから、お通夜の時はしばらく飼いたくないといってたのにもう飼ったのか、知り合いの猫を預かったのかと思った」って。「寝ぼけてたんじゃないのー」といっても、「絶対、空耳なんかじゃないって。ハッキリ聞こえたもん」ってすごくマジに反論するの。

 ……もしかしたら、ウランが、会いに来てくれたのかな。そう思ったら、なんだか嬉しかったよ。

2009年4月16日

 アリス九號.川崎チッタ

 20本もある今回のツアーも、この日を入れて残すところ2本。本当は大阪へ見に行こうと思っていたんだけど、ウランの急逝で断念せざるをえなくなってしまったため、このツアーを見るのは初めて。リハーサルで「the beautiful name」を聞いて、「武道館でやろうとしていたイントロの完全版は、これだったのね!」といったら、「えーっ、まだ見てなかったんですか!?」とメンバーに思い切り驚かれてしまった。

 昨年のNHKホールでいい感じに一皮むけたなと思っていたアリス九號.だけど、本当に1つ階段を上った感じ。「VANDALIZE」の楽曲が今までのメニューに加わることによって、ライヴ全体がすごくソリッドで聞き応えのあるものになってた。

 そして、終演後は、鬼のライヴ直後アフター・インタビューを再び決行!マヨマヨ星人が出現した前回に引き続き、今回はどんな珍発言が飛び出したか……アリーナ次号で、確認してね!

2009年4月13日

 ニンジャマン・ジャパンのミーティングがうちであるので、ようやくウランのトイレを片づけた。

 「ニンジャマン・ジャパンって、何ですか?」というメールが届いたけど、ふふふ、何でしょうねー(笑)。まだ発表できないけど、楽しい悪巧みなので、お楽しみに!

2009年4月11日

 REACTION鹿鳴館

 昨年の12月6日に亡くなったREACTIONのギタリストYASUの追悼ライヴ。

 UMEちゃんがドラムを叩いてる、YUKIが髪を立ててベースを弾いてる……懐かしすぎる……。でも、このライヴでREACTIONは本当にラスト・ライヴになってしまうんだよね。おととし、「REACTIONが再結成するから、その時は、あけぴー、頼むよ」と嬉しそうにいってたYUKIの笑顔が脳裏をよぎる。切ないな……。

 YASUのご冥福をお祈りします。合掌。

2009年4月10日

 7歳の甥っ子を連れて、ドラえもんを見に行く。渋谷の映画館はかなり混雑が予想されるといわれたので、六本木ヒルズに行ったら、拍子抜けするくらいガラガラだった。

 前に夕霧くんが「感動してめちゃくちゃ泣いた」といってたのに影響されて、ドラえもんのDVDを見たことがあるのだが、今回も友情をテーマにしてかなりの感動編。もっとも、来なかった妹(甥っ子の母親)にいわせると、「一緒に来ている親を泣かせようとする演出があざとくて、好きになれない」とか。たしかに、そーいわれればそうかもしれないけど、単純なわたしはちょっぴり感動してしまった。

2009年4月8日

 劇団☆新感線「蜻蛉峠」を見に行く。今回はクドカンさんの脚本で、新感線の色を残しつつ、ちょっと新しいワールド。笑いもたっぷりだったけど、最後は切ないストーリーで、とても面白かった。

 終演後は、劇場近くの韓国料理屋さん吉田メタルくんとゴハン。最近、この日記にメタルくん出現率が多い……のは、なぜでしょー(笑)。


2009年4月7日

 ウランがいなくなってから、早や10日。朝起きたら最初に、ウランのトイレの掃除をする日課が、彼女の位牌と写真の前にお線香を立てることに替わってしまった。

 ようやく朝から号泣することはなくなったけど、心にポッカリと穴があいてしまったような喪失感は消えない。外出から帰ってきてドアを開けたとき、トイレに行くとき、夜ベッドに入るとき、今まで当たり前のようにいたウランがいないのは、本当に寂しい。

 何人かの友達から、「次の猫」の話をされるが、まだまだそんなことはまったく考えられない。「純血種は短命だから、次は雑種にしなよ」といわれ、「やだ。次も、ロシアン・ブルーがいい。てか、ウランがいい。ウランじゃなきゃ、やだ!」(うるうる)といって、呆れられる始末。

 こんな感じじゃ、まだしばらくは立ち直れそうもないな……。

2009年4月6日

 Daizy Stripperの取材。O-WESTワンマンをソールドアウトにして勢いにのる彼らは、いつものように和気あいあいと楽しい取材だった。

 今回は、ニューシングルの話以外に、昨年の暮れにメンバー5人だけで行った曲作り合宿の話をフューチャー。ギャグみたいな話がいっぱい出てきて、面白かった〜。本当に仲のいい彼らを取材していると、なんだか心が癒される気がするよ。
2009年4月5日

 桜満開の暖かい日曜日。雅〜miyavi〜日比谷野外音楽堂

 いろいろな意味で、雅くんの新しい旅立ちとなったこの日のライヴ。感極まって彼が流した涙を、観客はみんな忘れないだろう。

 サービス精神旺盛な彼は、ライヴ中盤で客席真ん中に作った特設ステージで数曲をプレイ。ちょうど関係者席のまん前で、本人と目があってテレちゃった人も多かったんじゃないかな(笑)。

 終演後、尾崎社長と並んで、関係者に一人一人挨拶をしていた雅くん。「頑張るよ」と目をきらきらさせていた姿が、とっても印象的だった。

2009年4月4日

 IZAMくんがプロデュースしている紅薔薇うさぎ団の「〜業務連絡!主演女優がいなくなりました〜」を、中野ザ・ポケットに見に行く。偶然、隣の席がNIYくんだった(笑)。

IZAMくん自身は、最初と最後にチラッとだけ、マエストロ役で出てた。

 以前、吉田メタルくんが出演していたお芝居を見に行った小劇場で、昼の部なのにほぼ満席。1時間半くらいの作品だったけど、ひねりとギャグ満載のお芝居は、面白かった〜。前作に出演したNIYくんは、その7年後という設定のこの舞台を見て、「なんだかいろんなことを思い出しちゃった」といいながら、ジーンとしてたよ。

 その後、某編集部にて、マイトレイアの取材。このバンドは天照の大祀くん(G)が作った新バンドで、音もライヴも知らないままの初取材だった。DAISHIくん(天照時代とは表記を変更)からは、メンバー捜しの時に何回か連絡をもらってたので、「よくこのメンバーを見つけたね、パチパチ」といいたいくらい、団結してる感じが心地よいメンバーだった。

 なにしろ、結成してすぐに、全員の結束を固めるために富士山に登ったというのだから、すごい。発案者はDAISHIくんだったけど、全員が即大賛成で、ヴォーカルのRETSUくんは海外旅行から帰ってきたその足で、高山病になりながらも上りきったのだそう。

 取材が終わってからもらったファースト・シングルのデモ・テープもカッコよかったので、期待大だよ!すごく楽しみにして聞いたのに、1分くらいで終わっちゃったのは残念だったけど(笑)。←デモ・テープだから、当然か。

マイトレイアの情報は、こちら→http://maitoreia.com/pc/index.html


2009年4月3日

 仕事を再開した途端、いきなりこの日はインタビュー4本立て。普段でも1日に4本なんてなかなかないのに、何でよりによって(笑)。でも、家にいるとどうしてもウランのことを考えてしまうので、忙しくしてた方がいいのかもしれない。

 最初は、Bergerac。毎回、爆笑キャラで楽しませてくれるイルくんは、会うたびに芸風に磨きがかかってる感じである。彼は音源制作のたびに曲を作ってくるんだけど、まだ採用されたことが一度もなくて、メンバー全員にネタにされてた(笑)。あまりにもその話が面白かったので、次は是非イルくんの曲が聞きたいとマジで思ったよ。

 続いて、YOMIくんのパーソナル。ちょっと会わない間に、YOMIくん、めちゃくちゃ痩せた〜!すごい!!「あ〜、あのプヨプヨのお腹がないっっ!」といったら、「ターザンに取材されるのが、夢なんです」といって、見事に割れてるお腹を見せてくれた。思わずダイエットの秘訣をいろいろ聞いてしまったよ。

 タクシーで移動して、某編集部にてBrotherの取材。ちょっと遅刻してしまったのだけど、ビルの入り口で真実くんにバッタリ。彼も遅れてしまったらしく、取材室に入っていった途端、「遅刻組だ〜」とみんなに冷たい目で見られたよ、くすん。でも、取材はいつものように和気あいあい。おとなしい印象のReoくんが、いつのまにかみんなから「ボス」と呼ばれるようになってたのは、びっくりだった。

 最後は、都内某所の結婚施設にて、撮影中のNi〜yaくんのパーソナル。撮影は教会の中のクラシカルな場所を選んで行われたのだが、インタビュー場所も多分親族の控え室か何かに使われていそうなすごくゴージャスな部屋で行うことになった。担当編集者に「ここでインタビューしてくださーい。ちなみに煙草もドリンクも、厳禁。調度品には、手を触れないでください」といわれて、ただっ広い部屋に二人で放り込まれた。シャンデリアキャンドルに囲まれ、なんだかギラギラした部屋の真ん中の椅子に座って取材に答えてくれたNi〜yaくん、意外にも超デコラティブな雰囲気が似合っていたよ。

2009年4月2日

 SHAZNAの取材。この間、解散ライヴは見たけれど、実際にIZAMくんAOIくんと話をするのは、すっごく久しぶり。でも、2人とも全然変わってなくて、とても楽しく取材ができた。今だから話せることもいっぱいしゃべってくれたし、すごく前向きな2人からパワーをもらった感じ。ウランのことがあってからちょっと仕事を控えていたので、再開第一発目がSHAZNAの2人でよかった。

 帰り際に、IZAMくんが車の中から「ホームレスビジュアル系」を持ってきてくれた。ネットのニュースで見て、「どんな内容なんだろう?」と思ってたんだけど、苦労時代の話が克明に書かれてて、かなりそーとー面白い。「これからバンドを始める子達に、読んでもらいたい」といってたけど、本当にここまで根性があったからこそ、彼らはブレイクできたんだな〜と、思ったよ。

このタイトルは、デビュー前の苦労時代のエピソードからつけたそう。

 取材が終わってから1時間近くも雑談して、その後、ウランが亡くなった動物病院に挨拶に行く。お花を送ってもらったお礼と、ウランの死因や最後の様子を聞きたかったからだ。お医者さんが丁寧に説明してくれて、ウランはほとんど苦しまずに貧血で意識朦朧とする中、徐々に呼吸と脈が薄くなっていったらしい。わたしが駆けつけた時は本当に最後の瞬間だったけれど、きっとわたしの声は意識が薄れていくウランの耳に届いたと信じている


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