[ROCK'N ROLL DIARY]

2000年3月30日

  美輪明宏さんのコンサートを見に行く。実は、わたし、今度、ちょっと美輪さんの お仕事を手伝わせてもらうんだ。美輪さんのコンサートを見るのは初めてだったんだ けど、「ミロール」というストーリー仕立ての歌には、背筋がゾクゾクしてウルウルしてきてしまった。思わず、楽屋に挨拶に行った時、「握手してください」といってしまったわ。美輪さんはわたしがロックの仕事をしてると聞くと、「吉井くんミッチーとは愛し合ってるのに、なんでFOCUSFRIDAYも来てくれないのかしら」と、おどけていた。思ってたよりずっと気さくな人だったのが、ちょっと意外

2000年3月29日

 マスケラ解散ライヴを見に行く。入り口のところでEBYちゃんにばったり会ったら、「俺のおごり」とすぐにビールを買ってきてくれた。彼は、昼間から蕎麦日本酒を飲んでいたそう。し、しぶいっ! この日はラスト・ライヴということで本当 にたくさんの関係者が来ていて、終演後のロビーはごった返し。わたしが見かけただけでも、トランスティック・ナーヴCLOSEイルミナディベロップ・フレームFEELとミュージシャンがいっぱい。Gacktくんもバンドのメンバーと、 一緒に来ていた。でも、始まる前に来てたのに開演するまで車の中で待機していて、 アンコールも最後まで見ないでロビー打ち上げまで車の中にいたそう。「今日はマスケラの最後のライヴだから、みんなに迷惑かけちゃ悪いから」というGacktくん。友達想いだな〜。


2000年3月24日

 打ち合わせに行くために山手線に乗っていたら、大きなバッグをかついだ男性がいきなり「こんにちは」と声をかけるの。「誰だろう」と思って顔を見上げたら、Shujiくんだった。明日が新潟のライヴなんだけど、今日からインストア・イベントやキャンペーンがあるんだって。それで、「教えてもらった博多のラーメン屋に行ったよ」と報告したら、「おいしかったでしょ」と胸を張っていた(笑)。
  夜は、親しい人達との飲み会。わたしはごくふつーの飲み会だと思っていたのだけど、実はわたしのバースデーのサプライズ・パーティで、突然、明かりが消えてケーキが出てきた。考えてみたら、わたし、サプライズ・パーティをしてもらうのは初めてだったので、とっても嬉しくてなんだかジーンとしてしまった。しかも、サプライズはそれだけじゃなかったの。夜中の12時を回った頃に、大きな薔薇の花束を抱えた金髪の男性が店に入ってきた。なんと、それはGacktくんだったの! これには、本当にビックリしたわ。しかも、このパーティを企画してくれたのは、Gacktくん自身だったんだって! ずいぶん前にGacktくん「僕が死んだあと、命日じゃなくて誕生日を覚えていてもらいたい」という話をしていて、「わたしの誕生日は3月なのよ〜、Gacktくんも覚えててね」なんて脳天気に話したことがあったんだけど、それを彼はちゃんと覚えていてくれたのだ。感激で「なんで?」と絶句るわたしに、彼は「レコーディングが終わったら、みんなでパーティしようねっていったじゃない」と、ニッコリ。Gacktくんにバースデー・ソングを歌ってもら えるなんて、わたしは本当にすごい果報者だわ……(感涙x100)。よく「スタッフを驚かせるのが好き」なんて内輪のいたずら話を教えてくれたりする彼だけど、本当にこんなお茶目で優しいところがあるんだなぁとあらためて実感。だから、彼の周りにはどんな状況になっても、たくさんの仲間がいるんだろうね……。ここ数年、誕生日はいつも仕事で、「もー、誕生日なんていらない!」と思ってたけど、さすがにこの時ばかりは「いくつになっても、誕生日はいいもんだわ」と思ってしまったなんて、わたしってば、単純?ちなみに、Gacktくんがくれた薔薇の花束からは、 なぜか薔薇の香りはしなくて、エゴイストの香りがいーっぱいしていたよ(笑)。

2000年3月22日

  昼近く、担当編集者のF嬢のコールで目がさめる。「もしもし」と電話に出たら、「あ、その声は! まだ寝てましたね? もう約束の時間ですよー!」とのお言葉。 あちゃー、寝坊しちゃった。慌ててスッピンのまま、ロビーに下りる。そしたら、彼女、「さぁ、早くラーメン屋に行きましょう」だって(笑)。結局、二日酔いなのに起きた30分後に、またまたおいしいと評判のラーメン屋にタクシーで乗りつける。 あ゛〜、わたしったら、博多に何しに来たのかしらん(笑)。そこのラーメン屋は芸能人がたくさん来ているらしく、色紙がこれでもかというくらい飾ってあった。そーいえば、F嬢もラーメン好きなShujiくんにわざわざ「おいしいラーメン屋を教えて」というメールを送って、この店の存在を知ったという。でもなー、わたしはどっちかというと、昨日食べたラーメンのほうが好きだったな〜。
  ラーメンを食べた後、飛行機で東京へ。そのまま、LAIDの取材場所に行く。だけどね〜、飛行機を降りた頃からだんだん二日酔いが重くなってきて、身体がどんどんだるくなっていくの。おかしいなぁ、起きた時はそれほどひどくなかったのに、時間がたつに連れて二日酔いが重くなっていくなんて。そしたら、LAIDのメンバーもこの日はドロドロだったの。PV撮りとライヴのリハーサルのための合宿と取材やテレビ出演が続いて、KEIZOくんTKAFUMIくんは死にそーなくらい大風邪をひいてるし、RYOくんは寝不足でボーっとしてるし。二日酔いでドロドロの わたしと、いい勝負(笑)。というわけで、ドロドロ同士の取材はいつもよりテンポ がちょっぴりゆったりしていたように思うんだけど、彼らのエッチ話は相変わらず だった。さすがだわ(笑)。

2000年3月21日

 Dir en grayのツアー初日を見るために、博多に行く。空港に着いた途端、わたしが発した言葉は、「おなかすいた、ラーメン、食べたいな」であった。そこで、ライヴ会場に行く前に、おいしいと評判のラーメン屋に行ってみる。そこは食事時でもないのにお客さんが行列を作って待っていたお店だったのだけれど、食べてみて「これは!」と納得。わたし、生まれて初めて、替え玉を頼んでしまったわ。
  腹ごしらえも出来たところで、Dir en grayのライヴ会場に。ツアー初日 ということもあり、50分近く押して開演。今回、オープニングがすごく凝っているので、必見だよ。これからライヴに行く人は、開演に遅れないようにしてね。Dir en grayのライヴはいつも長くて全力疾走なのだけれど、この日も3時間近くあり、終わった後のメンバーはみんな放心状態。食事会に顔を見せたのは薫くんDieくんだけで、あとの3人は死んでしまっていたらしい。その席で、薫くん「実は、あのオープニング、僕のアイデアなんですよ」と、教えてくれた。やっぱり、客席の反応がすごくよかったので嬉しかったみたい。明日は7時起きで広島に移動とい うメンバーと別れて、わたしは知り合いである福岡ZEEPのマネージャーが飲んでいる店へ。そこで、芋焼酎をいっぱいいっぱい飲みながら、博多の夜は更けていった のであった。


2000年3月19日

  元VOWWOWカジノ・ドライブ現レッド・ウォリアーズのキーボーディスト厚見玲衣が、昔々、在籍していたムーンダンサーというバンドが、一日だけあるパーティのために再結成するというので、見に行く。ムーンダンサーは、基本的にはプログレ・バンドだったのだが、ルックスがよかったのでわりとアイドルっぽい人気もあったバンドである。ちょうどISIZEの音楽ページの中で、「大島暁美が見た日本のロック・ヒストリー」なる連載をスタートさせたばかりで、「ムーンダンサーのことも書こうかな」なんて思ってたところだったので、タイミングはバッチリ。3曲しか演奏しなかったけど、厚見くんのヴォーカルも聞けたし、名曲「アラベスク」も 聞けて、嬉しかった。でも、このパーティ、実は、転勤する厚見くんのお友達の送別会だったのだけど、その彼は不治の病におかされていて、彼を励ますという趣旨のものだった。本人もバンドでヴォーカルをとったりしていたのだが、「病原菌が脳にまで回ってしまって、排尿の調節ができなくて一時間に一回はトイレに行かなくてはならない」なんて、マイクで淡々と語っている姿にはジーンときてしまった。友達たちの熱いアンコールにも「これだけ歌うのが精いっぱいなんだ」といって、ステージから去っていった彼。直接面識はないけれど、多分、わたしと同じくらいの年齢なんだよね。そー思ったら、なんだかとても切なくなってしまった。そんな彼のためにいろんな人に声をかけて、盛大なパーティを企画した厚見くんって優しい人なんだなぁ……

2000年3月17日

 SHOXXで連載しているプラ・トゥリのメンバー半生記、今月はTADASHIくんの番である。レコード会社の応接室で取材をしていたら、おもむろにTAKASHIくんがやってきて、テーブルの上に置いてあったTADASHIくんのライターで煙草に火をつけている。それで、なんとなく仲間に入れてほしい光線を発していたのだが、それに気づいた担当編集者G氏の「すいません。関係者以外立ち入り禁止です」 の冷たい言葉に、あえなく退散。しばらくすると、今度はチキン・ナゲットを食べな がら、RYUTAROが登場した。そして、やはり仲間に入れて入れて光線を発して いたのだが、またまたG氏の「関係者以外立ち入り禁止」という冷たい言葉に、ショボンとして部屋から出ていった。それにしても、プラのメンバーってパーソナル・インタビューなのに仲間に入りたがるなんて(そーいえば、先月のAKIRAくんの取 材の時にも、TADASHIくんがずーっとそばにいたしなぁ)、みんな寂しがり屋なのかなぁ……(笑)。

2000年3月16日

 ようやくアルバムが完成したGacktくんの取材。インタビュー場所は都内の某 スタジオだったのだが、なんとそこは9ヶ月前にわたしとウランが衝撃的な出会いを したスタジオだったの! まさしくこの場所で裸のGacktくんに抱かれて撮影されていたウランを見て、一目惚れしてしまったのだ。実は、その数日前にGacktくんからアドレス変更のお知らせメールがあり、その返事にウランの写真を添付して 送ったんだ。そしたら、Gacktくん「大きくなったねぇ。ものすごく愛してるんだね」と、いわれてしまった。ふふふ、そのとおり! でもね〜、そんな優しいGacktくんなのに、わたしはその日、大失敗をしてしまったの。インタビューが終わってGacktくんの声のメッセージを録音すること になって、DATのスイッチが入ってGacktくんがささやくようにメッセージを語り始めた瞬間、グルル……と大きな音でお腹が鳴ってしまったの! Gacktくんも吹き出してしまって、録音は中断。えーん、超恥ずかしい。なにもよりによっ て、こんな時に鳴らなくたって……。くすんくすん(涙)。

2000年3月12日

 ようやく新しい車が来た。赤いオープンカー。昼間は意外と気温が高かったので、 嬉しくて冬なのに幌をあけて走っていた。そしたら、なんかhideちゃんのことを思い出してしまった。あちこちに書いてるけど、わたしはもともとオープンカーが好 きで、LAに行くと空港で必ず赤いムスタングを借りることにしている。それをよく 知ってたhideちゃんは、LAで会うたび必ず「またオープンカー、借りたの?」 「また赤いムスタングなの。ミーハー!」と笑っていた。それで、自分の車があるの にしょっちゅうこっちの車の助手席に乗り込んできて、夜で寒いのに「幌あけて、走ろー!」と駄々こねていたのだ。だから、日本でまで赤いオープンカーを購入したこ と知ったら、hideちゃんはなんていうだろうかななんて思ってしまったのだ。 きっと「本当にミーハーなんだから」っていって、大笑いされただろーなぁ……。

2000年3月11日

 新宿ロフトに、GEORGEのレーベルG−3のイベントを見に行く。出演者の中には、SEX GEORGE VS PUSSY VS JUN & ピンキーズというなんとなくあやしいバンドの名前が……。まー、わかる人にはわかるあのバンドだったんだけどね。しかも、同じラインナップで顔を真っ白に塗ってKISSのコピー・バンドまで やってくれるというサービス! ヴォーカルの百ちゃんは、「なんでこの年になっ て、白塗りしなくちゃいけないんだよ〜、顔がヒリヒリして、痛い!」と、ぼやいていたけどね(笑)。会場には、U.D.AちゃんNORIRIKIJIKen-ichiくんなども遊びに来ていた。会うのは解散以来だったKen-ichiくんは、この前会ったJUNと同じく「最近になって、ちょっと寂しくなってきた。早 よ、なんかせんと」といっていた。またあのセクシーな歌声を、聞かせてほしいよね !

2000年3月10日

 朝の番組「怪人ゾナー」でおなじみの声優、森窪祥太郎くんROLLYの対談と いうめずらしいお仕事。森窪くんやスタッフと駅の改札で待ち合わせして、ROLLY宅に行って対談という予定である。でもってわたしはめずらしく待ち合わせ場所に早く着いてしまったので、その3時間くらい前からずーっと食べたかったアイスクリームをコンビニで買って、食べながら待っていた。その日は3月にしては北風が冷 たい寒い日だったのに、いきなり初対面のわたしがアイスを食べながら改札口に立っ ていたので、森窪くんは相当驚いたらしい。びっくりさせて、すまんですぅ〜ROLLYはピンクの髪に、全身ピンクのラメのジャンプスーツという衣装で森窪 くんをお出迎え。その派手ないでたちは、わたしのアイスの百五十倍くらいのインパクトがあったに違いない。ROLLY宅は雑誌でしか見たことなかったんだけど、 まさにロック・スターが住むのにふさわしいゴージャスでちょっとミステリアスな雰囲気。なにしろ、骸骨の模型が何体も飾ってあるし、部屋の中に本物のピンボールま であるんだから! でも、お月様の形したアロマ・ポットとか、「ナイトメア・ビ フォー・クリスマス」グッズとか、わたしのお部屋にもあるものがいくつかあってちょっぴり嬉しかったわん。

2000年3月9日

  4月にアルバム「D.N.A」からシングルカットが決まったジャンヌyasuくんの取材。もともとその予定はなかったのだが、タイアップが決まったので急遽シングルカットになったのだという。でも、「ふつー、アルバムの前後にシングルを切ることが多いのにね」といったら、「それ、昔のこと、ちゃいます? 最近は、あんまりないですよ」と、バッサリ。グサッ。でもって、取材が終わった後に、「大島さんって、いつから取材してるんですか? 僕が中学生頃には、もう取材してましたよね」と、またまたストレート直球をグサリ(涙)。ほっといてよ〜、わたしは天才だから、小学生の頃から取材してたのさっ、ふん。 その後、プラ・トゥリ4人の取材。新しいマキシについての取材だったんだけど、 先月会った時から座敷わらしキャラの具現化現象が進んでいるRYUTAROが、さらに現実離れした雰囲気になってる。「RYUTARO、大丈夫? なんかオーラが薄いよ。疲れてるんじゃない?」といったら、「僕もいろいろ考えることがあるんですよぉ」とっていた。でも、その口調も表情もなんかイラストっぽいんだよね〜。RYUTAROのキャラクター・グッズを作ったら、ピカチュウとかたれパンダとかが 好きな子供たちに絶対ウケルと思うんだけどなぁ……。

2000年3月8日

  トランスティック・ナーヴの取材。5月にリリース予定のマキシでは、RYOくん「bert」のリミックスを手がけている。どーやらスタジオにひとりでこもって、頑張ってリミックスしたらしい。でも、実は他のメンバーも内心はリミックスをやりたくて、「なんで、RYOくんだけ」(TALくん談)とちょっと焼きもちを焼い ていたらしい。「次は自分が」とメンバー全員がひそかに闘志を燃やしている彼ら、取材が終わった途端にMAC談義を始めるなど、本当にパソコン好きな感じ。一瞬、「あ、今、システムのことでわからないことがあるから、教えてもらおーかな」と思ったんだけど、全員がMACだからそれは無理だった。残念。


2000年3月7日

 夜、寝ようと思ったら、ウランがトコトコとそばにやってきて、首のあたりにまとわりつく。そこで、腕枕をしてあげたら、わたしの腕に小さな頭をちょこんとのせて、人間と同じ態勢で寝ているの。そのまま眠ってしまい、気がついたら朝の10 時。ウランは寝る前と同じ格好で、スヤスヤ寝息をたてている。ってことは、わたしとウランは6時間も同じ態勢で寝返りもせずに寝ていたのだろーか。不思議だ…

2000年3月6日

 結成4年目にして、初めてのアルバムをリリースするSPARK SPARKSの取材。どーもTSUBAKIはスキーの時のイメージが強くて、ミュージシャンとして取材するのはすごく新鮮
 夜、寝ようと思ったら、ウランがベッドのど真ん中で丸くなって寝ていた。なんとかどかせようとしたんだけど、全然動かない。その幸せそうな寝顔を見ていたら起こすのがかわいそうになってきて、わたしがベッドの端っこにクの字になって寝ることにした。でもなー、睡眠だけは大切にしなくてはと思って、部屋が狭くなるのを覚悟でセミ・ダブルのウォーター・ベッドを購入したというのに、なんでわたしがこんな態勢で寝なくちゃならないのかな。オシッコ猫ウランのために……。

2000年3月5日

 いつもよりも時間をかけてお部屋のお掃除をしてたら、掃除機が大嫌いなウランがツツツ……と近くに寄ってきて、わたしの見ている前でクッションの上にシャーッオシッコをした。きゃあああ、そこにはヴィヴィアンマフラーバッグも置いてあったというのに……(涙)。いい子になったかなーと思うと、どうしてウランはこういうことをするんだろう。オシオキすると反省したような顔をするのに、この癖だけは治らないんだもんなぁ……。

2000年3月4日

 昨日はほとんど飲んでないのに、体調が悪い。考えてみればこの一週間のうち、3日間も重度の二日酔いだったのだから、仕方がないかもしれないなー。でも、この二日酔いってヤツは、ものすごく非生産的で不効率だ。まぁ、夜中に飲んだくれて騒ぐのは好きだし、そこでいろんな人とコミニュケーションがとれることもあるからいいんだけど、二日酔いで次の日を一日無駄にしてしまうのはあまりにももったいない。 もーお酒を飲んでも、絶対に二日酔いにはならないようにしようと、固く心に誓う……←多分、1050回目くらいの誓いだけど(笑)。

2000年3月3日

 MARCYSNAKE HIP SHAKESと一緒に、オンエア・イーストでライヴをやるので、見に行く。実は、ライヴの前にこのHP用にメッセージをもらうつもりで「開演の1時間前に行く」と約束してたのに、大遅刻しちゃったのぉ(涙)。この日ももーすごい二日酔いで、途中でどーにも我慢できずにマッサージに 行ってしまったのだ。そしたら、楽屋に入った途端、MADに「どうしたの、寝起きみたいな顔して」とズバリといわれてしまった。ふにゃ。それから、しばらくゲストでギターを弾くSHARAと、ジャンヌ談義で盛り上がる。SHARAジャンヌのレコーディングの手伝いをしていたのだが、彼らは本当にレコーディングが好きで、 最終日にマネージャーが「明日からは、取材で死んでもらうから」といったら、youくんに「SHARAさん、明日からもまたレコーディングしましょうよ〜」といわれ、「俺はもうしばらくいいよ〜」と悲鳴を上げたとか(笑)。そんな話をしている うちに、MARCYの準備が整ったのでメッセージをもらおうとしたら、ガ、ガ、 ガーン!さっき買ってきたばかりのフロッピーの種類が違ってて、画像が撮れないの。ああ、なんてダメなやつ……。仕方なくメッセージはライヴ終演後にもらうことにして、あわててフロッピーを買うために一度会場の外に出る。そしたら、向かいからテラチンが歩いてきて、「あれ、これからイーストでライヴじゃないの?」というから、「忘れ物したんで買いに行くの」と答えたら、不思議そうな目で見られてしまった。(この時にもらったMARCYからのメッセージは、MESSAGEにあるから見てね)

 さすがにこの日は打ち上げに出る気になれず、某誌編集者メタルウサギさんと一 緒に食事をして帰る。でも、「一杯だけ、ビール、飲んじゃおっかなー」というわたしに、「やっぱり飲むのか」とお酒を飲まないメタルウサギの目は冷たかった。でも、ちゃんと電車で帰っておうちでお仕事してたら、夜中の3時過ぎにベロベロになったMARCYMADから電話があった。電話口で「ロックンロール!」とか叫んでるんだけど、超〜盛り上がってる様子ひしひしと伝わってくる。きっと楽しかったんだろーなと思いながらも、今日はよいこの大島であった。

2000年3月2日

 星子さんと、デート。昼間はひどい二日酔いだったのに、一口目のビールがうまい。でもって、「今日は絶対に電車で帰る」と思っていたのに、星子さんと別れたのは明け方の4時だった……くーっ、懲りないヤツ


ロックンロール日記目次へ 大島暁美サイトトップへ