[ROCK'N ROLL DIARY]

2000年4月28日

 毎月恒例になりつつあるLAIDの取材。マネージャーのヒロポンが飲みものを買いに行ってる間、メンバーが「ヒロポンはステージ・ドリンクに、カップ・ラーメンを買って来たりする」なんて話をして笑ってるの。しかも、自腹で(笑)ウケるためだったら何でもするいかにも関西人らしいノリだけど、そんな話が終わるか終わらないかのうちに飲み物を買ったヒロポンが戻ってきた。
 でもって、みなさまの期待に応えるがごとく、なぜか一人分だけが飲み物じゃなくて、青ネギの輪切り(オソバとかの上にのせるやつね)と、「押さえに」ということで焼き鳥の缶詰なのよ。そしたら、メンバーは少しも動じず、順番に飲み物をとっていき、ごくごく自然に青ネギと焼き鳥の缶詰はTAKAFUMIの分になってた。だから、取材中、他のメンバーはドリンクを飲みながら質問に答えていたんだけど、TAKAFUMIくんだけは青ネギと焼き鳥を食べながら答えていたのよ(最後のほうは、KEIZOくんも食べてた)。

 今号のLAIDのページを読む時は、青ネギと焼き鳥を食べながら質問に答えているTAKAFUMIくんの姿を想像しながら、読んでくださいな。絶対に臨場感が、出るはず!

2000年4月27日

 ディスク・ガレージにて、社長の中西健夫氏ISIZE業界人お友達対談。でも、中西氏「最初に会ったのは僕がディスク・ガレージに入ったばかりの頃だから、20年くらい前のことかな」といわれ、クラクラする。最近、昔話をして、それが何年くらい前のことだったかを考えると、恐いくらいだ(笑)

 その後、彼の車に乗せてもらって、Gacktくんのツアー初日を大宮まで見に行く。そしたら、高速がすいてて早く着きすぎちゃった。時間があるので隣のホテルで食事をして、開場時間ぴったりの6時にホールに行くと、まだリハをやっている最中。結局、開演が1時間半も遅れたので、わたしはなんと大宮で3時間も時間をつぶしてたことになる(涙)。

 ライヴの様子はまだ見てない人も多いだろうから内緒なんだけど、いろんな仕掛けもあって楽しい作りになっていたよ。「今度は絶対に泣かない」と公言していた彼だけど、本当に湿っぽい雰囲気はまったくないステージだった。でも、Gacktくんの美しい涙が見れなかったのは、ちょっと残念かも。

2000年4月日

 TAKASHIのパーソナル・インタビュー。なのに、出かける直前になって大バカモノのウランが、大お気に入りの革のジャケットの上にオシッコしたの! ジャケットの上に大きな水たまりができているのを見た時には、もー目眩がしたわよ。わたしがLAに行ってて寂しかったのはわかるけど、どーしてヤツのオシッコ癖は治らないんだろう。いい子になったかなと思って油断すると、またすぐ同じことを繰り返す。
 みなさん、ウランのオシッコ癖を直す何かいい方法を知りませんか? もしくは、そういうことに詳しい獣医さんとかを知ってたら、教えてください。オシッコ癖さえなければ、世界でいちばん可愛い猫なのに……(涙)。

 結局、取材には30分ほど遅刻してしまった。スタジオに着いてTAKASHIに「ごめんね!」と謝っていると、TADASHIくんが中から出てきて「あ、遅刻した人だ!」と笑ってる。でもってしばらくすると今度はRYUTAROが出てきて、「ネーサン、遅刻したでしょ」と、再びグサリ。くーっ、これでわたしの仕事がなくなったら、ウランのせいなんだからぁっっっ!

2000年4月23日
 昨日、LAから戻ってきたばかりなのに、時差ぼけをものともせず、ジャンヌのNHKホールに行く。関係者の受付に行くと、既にコンサートの中盤で演奏している「CHILD VISION」が聞こえてくる。あらら、一応、この日に間に合うように調整して出張から戻ってきたというのに、わたしったら遅刻してしまったみたい。大ボケ。
  しかも、関係者があまりいない席のチケットをもらったので、「だーれも見てないだろう」と思って踊り狂っていたら、終わってから前にラジオで一緒になったことあるラピスラズリのギタリストに声をかけられた。「大島さんの好きそうなバンドですものね」という彼の瞳は、ちょっと笑っていたような……。
 そーそー、最近、よくあちこちで目撃されるらしく、「マスケラのライヴでEBYちゃんとビールを飲んで盛り上がってましたね」とか、「この前、ポケーッと渋谷を歩いてる大島さんを見ました」とか、みなさんからメールをいただくの。しかも、なんかカッコ悪いとこばっか、見られている気がする……。
  日々日常からもっと緊張感を持って行動しなくては……と、反省する大島であった。
2000年4月20日

  CF撮影。今日はヘリコプターを飛ばしたり、ランボルギーニをYOSHIKIが運転したり、スタントマンがやってきたりと、本当に大掛かりな撮影である。警察官先導で公道を使って撮影する様子なんて、まさに映画の都ハリウッドならではの光景。YOSHIKIにランボルギーニを運転した感想を聞くと、「フェラーリとあんまり変わらない。うちに、フェラーリ、2台あるからさ。もうすぐ3台目が来るけど」という超ゴージャスなお返事。うらやましーよぉ……。

 さて、今回のLA取材ではUMEがずーっとドライバーをしてくれてた。もともとエクスタシーのスタッフでもあったUMEだけど、最近は東京ヤンキースのライヴ以外はほとんどYOSHIKIの仕事をしているらしい。昔からロックンロール日記を読んでてくれる人は知ってると思うけど、UMEはすごく口が悪くて、昔からわたしはいじめられっぱなしなの。今回のLAでもずーっといじめられてて、なんか相変わらずだった(涙)。
  車の運転席と助手席でいいあってるわたしたちの会話を聞いて、うしろに座ってたエクスタシーのスタッフは「なんか仲のいい姉弟の漫才を聞いてるみたい。そーだ、この様子をビデオに撮って、エクスタシーからリリースしよう」とか面白がってて、全然、わたしを助けてくれなかった……くすん。
  結局、撮影が終わったのは朝の5時半。あ〜、もう数時間後には日本に帰る飛行機に乗らなくてはならない。超ハードな取材だったのであった。

2000年4月19日

 YOSHIKIのインタビューをする。CF撮影の中日ということでYOSHIKIは打ち合わせなどで忙しく、結局、取材が始まったのは夜中の2時過ぎ。まずYOSHIKIがプロデュースしているバンドの曲を、彼自らの解説で聞かせてもらった後、取材を始める。だが、始めて5分もたたないうちに、「そうだ。あの曲を聞いてもらおう。まだスタッフもほとんど誰も聞いたことがない曲なんだ」といって、再びスタジオへ。そこで、彼が聞かせてくれたのはhideちゃんが亡くなった直後に作った「WITHOUT YOU」という曲であった。

 でも、取材の合間だというのに、その曲を聞いていたら、涙が出てきてしまった。ウルウルとかジワっときたなんてもんじゃなくて、もうボロボロ頬を伝うって感じ。「自分で作った曲なのに、聞くたびに涙が出てくる」というYOSHIKI自身も、曲が終わった時には目に涙をためていた。でも、今のところ、発表する予定はないんだって。「絶対、ファンのみんなも聞きたいと思ってるよ」といったのだが、その曲に対する彼の想いはインタビューの中でたっぷりと語ってくれているので、是非、それを読んでください。掲載は、6月21日発売のSHOXXの予定。

2000年4月18日

  LAにて、YOSHIKIの撮影現場の取材である。これから1年間、YOSHIKIがセブンイレブンのCFに出ることになり、その第一回目の撮影が行われているのだ。最初にその話を聞いた時、「えっ、YOSHIKIがセブンイレブンのCFに出演? おにぎりでも食べるのかしらん?」なんて思ってたけど、もちろんそんなわけはなく(笑)、直接セブンイレブンの会長さんから電話があり、「好きなように作っていいから、うちのCFに出てほしい」って頼まれたんだって。それで、YOSHIKIは自分で1年間4回分のストーリーを考えて、台本まで書いたのだそうだ。

  撮影現場はユニバーサル・スタジオの中の映画用のスタジオで、本当にハリウッドの映画の撮影現場そのもの。一角にスタッフ用の軽食コーナーがあって、そこでサラミなんかポケッと食べてたら、いきなりYOSHIKIがやってきて、「やぁ、久しぶりだね。元気?」なんていいながら、右手を出すの。わたしの右手はサラミでベトベトだったんだけど、「ごめんね」と恐縮するわたしにYOSHIKIはニコニコと握手してくれた。久しぶりに見るとっても素敵な笑顔である。
  撮影の合間に大道具の人と「いつ頃からセットを作り始めたの?」なんて雑談していたら、スタッフの人が「今、YOSHIKIがCF4回分のシチュエーションをしゃべってますよ」というので、急いでYOSHIKIのところに行く。でも、ちょうど話は一段落したところで、「わたしにも教えてよ〜」というと、「だから、僕がヘリコプターから下りてきて、そこで鍋焼きうどんを食べるの」とか、「ランボルギーニを運転しながら、おにぎりを食べるの」とか、冗談ばっかり。でも、そんな風にジョークをいって笑ってるYOSHIKIを見て、なんだかちょっと嬉しくなる。

 撮影が突然決まってものすごく忙しかったというけれど、精神的にはとても充実してるみたい。でもって、LA到着当日だというのに、撮影が終わったのは夜中の4時近くという初日から超ハードに一日なのであった。


2000年4月13日

 今月はゴールデンウィーク前なので、雑誌の締め切りが早まって超忙しい。毎日、 明け方まで原稿書きの日々が続いていて、午前中はボヨヨンとしていたら、突然、 「明後日からLAに行ってもらえませんか?」という唐突な電話がかかってきた。出たっ!! 2〜3年前まではよくあったいきなりの海外出張。もちろん、そんなこと おっしゃる方はただ一人(笑)。書かなくちゃいけない原稿がいっぱいたまっていたけれど、久しぶりにYOSHIKIに会いたかったので、OKする。だって、ようやく彼が取材を受ける気になったということは、いろんなことが吹っ切れて動き出すっ てことだもんね。今までは顔を見かけた時などに「ねー、取材しないの?」って聞く と、いつも「まだしゃべりたくないんだ」っていってたからさ……。早く元気なヨッちゃんの顔が見たいなっっ !!

2000年4月12日

 最近のわたしの注目バンドのひとつであるJURASSICに、電話取材。この間まで東京でレコーディングをしていたんだけど、もう九州に帰ってしまったので電話インタビューになったの。でも、初めてなのに電話取材で、しかも、「あんまりしゃべらない」と聞いてたからドキドキものだったんだけど、みんな真面目に答えてくれてほっと一安心。今度は、ちゃんと顔を見ながら取材したいなぁ−。

2000年4月11日

 ROUAGEの取材。RIKASHONOKAZUSHIRAYZIという二組に分かれてのインタビューであったが、RIKASHONOチームを取材している間、KAZUSHIくんRAYZIくんは連れ立ってどこかに出ていった。 「別の仕事でもしてるのかなぁ」と思っていたら、なんと近くの川沿いにある桜の木の下のベンチに座って、散りゆく桜を眺めていたのだそう。二人の後ろ姿を目撃した人によると、「2人並んで桜を見ているうしろ姿は、なんか不思議でしたよ」ということだった(笑)。そういえば、わたし、この日に思ったのだけど、昨年出した単行本のロックンロール日記の「なんでもベスト3」の中の「声が小さい」という項目の中に、KAZUSHIくんを入れるのを忘れていた。ステージからはとても想像できないほど、彼は声は小さいのだ。それで、「KAZUSHIくんって、ステージと普段のギャップが大きすぎるよね」といったら、「僕は、いつも紳士ですよ」というの で、「だって、ステージのKAZUSHIくん、恐いもん」といったら、「僕はいつも暖かいピンク色のオーラを発しているはずなのに……」と、何回もつぶやいてい た。ピンクのオーラっていう感じじゃないと、思うんだけどなぁ。皆さん、どー思います?

2000年4月10日

 この日は、韓国で大人気のY2Kの日本人兄弟ユニットDOGGY BAGの取材。 なにしろ、おにーちゃんのYUICHIくんは18歳、弟のKOJIくんは15歳な のよぉ!!でもって、取材中にKOJIくんが「中学を卒業したばっかり。3年前は、ランドセルをしょってたんだよ」というので、もー目眩がしそうになる。しかも、二人の会話は取材というよりは友達との雑談みたいなフレンドリーな感じ(?) で、もう一人の仲間高在根の話になった時など、KOJIくん「高在根は、マジかっこいいよ。紹介してあげるよ。電話番号、教えてあげるからさ」って、ホント、 高校生が放課後にマックかどこかで雑談してる感じ。でも、二人とも超美形だし、天真爛漫で、取材はかなり面白かった。内容的にははちゃめちゃだったけど、YUICHIくんはさりげなく弟をたててKOJIくんにちゃんと話をふったりしていた。おにーちゃんは、エライ!

2000年4月9日

 TATSUYAくん綾くんと待ち合わせして、Dir en greyのライヴに行く。でも、開演まで少し時間があったので、「花見に行こう!」ということになり、桜の名所靖国神社へ。駅は改札口を降りたところから、花見客でものすごい混雑。靖国神社の敷地内には、まるでお祭りみたいに屋台がいっぱい並んでいる。それを見たTATSUYAくんは、「あんず飴、食べよーよ」と桜よりももっぱら屋台の方に興味がある様子。5本で1000円というとてつもない値段の焼き鳥や、こーいう場所では定番のヤキソバなどを食べて腹ごしらえをする。もちろん、ちゃんとあんず飴も食べてから(笑)、 Dir en greyのライヴ会場である東京国際フォーラムに向かった。昨日、メンバーに「 Dir en greyには、もっとも似合わない会場かもしれない」なんていっていたのだが(なにしろ普段は国際会議なんかもやってる、すごい格調高い感じの会場なのよ)、とにかくこの日のライヴはひたすら恐かった。というのは、わたしたちは2階席の前の方に座ってたんだけど、これがもぉ半端じゃなくらい揺れるのだ。たまたま「国際フォーラムの2階席は底が抜けるといけないから、ロックバンドのコンサートの時にはお客を入れないことが多い」な んて噂を聞いてたもんだから(なのに、満員だったのよ……涙)、かなりの恐怖であった。それだけファンのパワーが、すごかったということだけどね。

2000年4月8日

  この日は、Dir en greyの取材。Toshiyaチーム、Die Shinyaチームに別れてのインタビューだったのだが、これがもぉ悲惨だったのよぉー(涙)。最初のチームの取材を始めて少したった頃、突然、薫くん「あれ、このテープレコーダー、時々、止まってますよ」っていうの。「これ、人がしゃべらないと、自動的に止まるのよ」と答えたら、「いや、しゃべってても止まってます」恐ろしいことをおっしゃる。それで、恐る恐る取材を続けていたら、本当に調子悪くて、動いたり止まったりしてるの。止まったらテーブルをとんとんと叩くと動き始めるということを発見した京くんが、15秒ごとくらいにテーブルをたたいてくれるんだけど、だんだんと思考が取材じゃなくてテープレコーダーの方にいってしまい、頭の中がグシャグシャになってきちゃった。でもって、トンチンカンな質問するわ、曲のタイトルは間違えるわ、とうとうToshiyaくんに向かって「ねぇ、薫くん」と呼んでしまうわ……と、もう末期症状。でも、その時、薫救世主様がチョコチョコっとテープレコーダーをいじって、「きっとこれでもう大丈夫ですよ」というの。そしたら、不思議なことに本当に直ってしまった。そのおかげでなんとか取材を終えることができたのだが、本当にこの時は冷や汗ものだったわ。あの時、薫くんが テープレコーダーを直してくれなかったらと思うと、薫大明神様に足を向けては眠れません。まー、直すといっても、スイッチを一つ切っただけなんだけど(笑)。「余 計な機能のボタンなんか押さずに、シンプルにシンプルに使った方がいいですよ」と 薫様にアドバイスされ、スゴスゴと取材のお部屋から引き上げたわたしであった。くすん。

2000年4月6日

 夜、BLue-Bのライヴを見に行く。初めてのツアー、そして、初めてのオンエア ・イーストだが、嬉しいことにSOLD OUT。ツアー前に右手を骨折したNOBUKIも、元気に演奏していた。終わった後は、いつものようにお食事会。でも、TATSUYAは夜中にラジオの生放送があるので、途中で一人放送局へと向かっていった。ライヴには、おなし事務所の松岡くんクロちゃんwyseのメンバーたちも顔を出していたよ。

2000年4月5日

 名古屋まで、ジャンヌ・ダルクのライヴを見に行く。昨晩、ほとんど寝なかった上、のぞみの中でずーっとパソコンを打っていたら、新幹線に酔ったのか(?)、名古屋駅に着いた時には超気持ち悪くて死にそーになっていた。「こんなんでライヴを見て、大丈夫かしら」と思っていたら、あら不思議。ジャンヌのライヴを見たらケロッと治って、逆に元気が出てきてしまった。終演後、楽屋をのぞくとメンバーはみんなほとんど仮死状態yasuくんに昨晩のオールナイトニッポンRで加藤晴彦くん「EDEN」の話をしたといったら、「ホンマですか? 俺達のこと知ってたんですか?」と、大きな目を見開いていた。それから、急いで名古屋駅に行き、最終ののぞみのチケットを持っていたのだが、それはキャンセルしてひかりで帰る。また、 気持ち悪くなったら、困るもんね〜。でも、本当はジャンヌのメンバーと手羽先を食べたかったよぉー(涙)。


2000年4月4日

  今日も、ライヴをはしご。クラブ・エイジアで最近気に入ってるSISTER+、 ラ・ママでラズベリー・サーカスという二本立てだ。開演前にSISTER+の二人とカフェで話していたら、隣のテーブルで浅野忠信がバンドのメンバーらしき人たちとごはんを食べていた。その御一行様、今日、出演するというのに、ガンガンお酒を飲んでいたけど、ちゃんと演奏できたのかな〜。
 ラズベリー・サーカス
を見た後は、ダディ竹千代さんたちとごはんを食べに行く。 でも、みんな赤ワインをガンガン飲んでいるのに、わたしはビール2杯で我慢。というのは、今晩、2時からオールナイトニッポンの生出演することになっているからだ。みんな盛り上がっている中、途中で宴を抜け出して、お台場のニッポン放送へ。 この日のパーソナリティは俳優の加藤晴彦くんで、わたしは「カリスマ・ライター」として聴取者の質問に答えるという役どころ。それで、オンエア中、彼が「最近、どんなバンドを追いかけているんですか?」と尋ねるので、「明日、ジャンヌ・ダルクを見に、名古屋に行くんだ」 といったら、突然、エデンを歌いだし、「あそこのヴォーカル、声が高すぎて、カラオケで歌えない」とかいうの。Gacktくんの話をした時も、マイクの前でVANILAのサビを歌って、「あの人の声って、低いとこから高いとこまですごく広いんですよね。カラオケで歌ったんだけど、難しかった」なんていうの。テレビで見るとおり気さくで明るい男の子で、楽しかったな。

2000年4月2日

 オンエア・イーストのアースシェイカー、クラブ・エイジアのFULL A HEADdart(最近、目をつけてる新人バンド)と、二つのライヴをはしご。終演後 は、マスケラのギターのたくやくんと飲みに行く。たくやくんとちゃんと話したのは初めてだったんだけど、彼が真面目なせいか(?)ついつい真面目な音楽論をいっぱいしゃべってしまった。めずらしいこともあるもんぢゃいつも飲んでる時は、お馬鹿なことしかいわないから。

2000年4月1日

 今日は、ダ・パンプの取材だ。どーして、突然、今まで縁がなかったダ・パンプの取材をすることになったかというと、次号の表紙がGacktくんアリーナ編集部 に行った時、編集長のナベさんが「お願い聞いてくれたら、Gacktくんのポラあげるよ」っていうんで、「なんでも聞きますぅ」と答えたら、「じゃ、明日、ダ・パ ンプの取材やって」と頼まれてしまったからなの(涙)。あ〜、「好きなバンドの取材しかやらない」とかエラソーなこといってるわりに、わたしってば軟弱。しかも、 ナベさんがくれたGacktくんのポラはボケボケで、全然顔が映ってなかった。詐欺だぁ〜!!!
 んなわけで、昨日の夜はダ・パンプのビデオを見て、新曲聞いて、 雑誌を見て顔と名前を覚えて……今日の取材に臨んだというわけである。でも、さすがに4人ともカッコよかったよ。「みんな、あんまりしゃべらない」って聞いてたから、ちょっと心配してたんだけど、音楽の話をフッたら一生懸命答えてくれたしね。 無事に終わって、よかった、よかった。


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