[ROCK'N ROLL DIARY]

2000年11月23日

 LAIDの取材
いつも彼らの取材は銀座にあるSHOXX編集部でやってるんだけど、この日は吉祥寺にある彼らの事務所でやることになっていた。それで、時間通りに事務所に行ったら、マネージャー氏が誰かと電話でいいあっている。「なんだろう?」と思っていたら、電話の相手はRYOくんで、彼は間違えて一人で銀座に行ってしまったらしい。しかも、そこで迷ってしまい、道順を聞こうとマネージャーに電話して、取材場所が吉祥寺であることを知ったという。結局、取材は4人で始めていて、約1時間後に息を切らせてやっとRYOくん到着。彼は、「いつも取材に遅刻してお待たせしてしまうから、今日は間に合うようにと早く出たのに、こんなことになるなんて」と、ボヤくことしきりだった。帰り際、「この借りは必ず返しますから」というので、「じゃ、焼肉で」といったら、「もっと売れたらネ」と笑ってた。その言葉、忘れないからね〜!


2000年11月21日

 LOVERSことkumaちゃんの取材。
kumaちゃんとは、の昔からのファンは知ってると思うけれど、ずーっとhideちゃんのスタッフをしてた少年なのね。 わたしが彼と初めて会ったのは、多分、もう10年以上も前のことで、当時の彼は まだ16か17歳だった。「ずーっと師匠の隣で取材を見てて、大島さんに取材してもらうのが夢だったんです」といってくれたkumaちゃん。話しているうちについつい昔話も多くなってしまったけれど、現在、彼は自分のソロ・ユニットLOVERSで頑張っている。
hideちゃんの急逝でいろいろつらいこともあったみたいだけど、それをのりこえてたくましく 活動していってほしいと思う。「いくつになったの、kumaちゃん」と思わず聞いてしまったわたしだけど、時折、昔と全く同じ表情をするのが懐かしかったよ。

2000年11月20日

 Dir en greyの撮影&取材。
この日は撮影の合間を縫ってインタビューすることになっていたので、わたしもメンバーと一緒にずーっとスタジオにいたんだ。 撮影って本当に時間のかかるもので、この日はわたしもほぼ12時間以上はスタジオにいたよ。それで、待ち時間の間に薫くんとDieくんとくんが、バンドをやってるローディくんにメイクを始めたの。彼のバンドの写真を見て、「もっとカッコよくしてやる」っていいだしたのが、きっかけみたい。わたしは3人がテキパキと彼にメイクをして髪を立てていく様子を、そばでポケッと見ていたんだけど、いやー、みんなうまいのなんのって。髪なんて5分もかからずに、しっかり全部立てちゃった。完成したらかなりイケてるミュージシャンっぽくなったので、Shinyaくんが自分の 衣装を貸してあげて、メンバー5人と一緒に記念撮影。ローディくんはその格好がかなり気に入った様子で、その日はずーっとメイクしたままでお仕事していたよ (笑)。でも、カッコよくなったローディくんに衣装を貸して写真も一緒に撮ってあ げるなんて、Dir en greyのメンバーって優しい。よね。
その写真、某雑誌に載るかもしれないから、見つけたら「ヘア&メイクby薫&Die&京、衣装提供 by Shinya」だから、じっくりと見てあげてね。

2000年11月18日

 J*Jeniusのライヴ。
この日は、トランスティック・ナーヴRYOMASATO+MASAKIくんの3人が遊びに来ていて、終わった後、みんなで飲んだんだ。トランスティックの3人とは初めて一緒に飲んだんだけど、思ってた以上にファンキーな人たちで面白かった。彼らは打ち上げの場所までわたしの車に乗っていったんだけど、運転、恐いなんていわないでね。本当は、もっと上手なんだからー!!

2000年11月16日

 ROLLY佐々木功さんの対談。
佐々木功さんっていうのは、ガッチャマンとかのテーマソングを歌っているアニメ界の帝王のような人。わたしも初めて会うので「どんな人だろう」って興味津々だったんだけど、すごく若々しくてエネルギッシュな人だった。アニメのテーマソングには相当ハマってたというROLLYも、めずらしく緊張気味だったもんね。わたし、しっかりサイン入りポラを持って帰ってきちゃった(笑)。
 その後、ドープヘッズの取材。
予定よりちょっと前にスタジオに着いたら、I.N.Aちゃんがいて、作業中の音をちらっと聞いてしまった。これがねー、相当カッコイイ音だったよ!
そのあと、PATAHEATHI.N.Aちゃんに取材をしたんだけど、もう決まっているのにヴォーカルのJO:YAくんは姿を見せない の。「どこにいるの?」と聞いたら「別のスタジオにいる」っていってたけど、ヴォーカルが彼に決定した理由についてI.N.Aちゃんが「こいつとだったらできるって思ったのが第一の理由だけど、決め手は朝の10時までつきあったことかな」といって、笑ってた。「これは、ちょっと誌面には載せられないかなー」なんていってたげと、いえいえ、昔からロックンロール日記を読んでくれてる人にはきっとものすごぉく説得力のある言葉だと思うよ(笑)。

2000年11月15日

 ジャンヌの取材をするために、彼らがリハーサルをしているスタジオに行く。
集合時間の12時を少し過ぎてスタジオにやってきた彼らは、まだ半分寝ているような状態。「大丈夫ー、起きてる?」というと、「起きてますよ!」という答えは返ってくるものの、身体は寝ているという感じ(笑)。でも、取材を始めたら、みんなちゃんと目を覚ましてくれたからよかったんだけどねー。
でもって、この時、正式に(?)yasuから「天敵発言」について抗議を受けたんだけど、SHUSEにいったとおり「だからさー、気になる人にはついついちょっかいだしたくなっちゃうものなのよー」といったら、「ホンマですか?」と疑わしそーな目でいわれてしまった(笑)。そうそう、その時、わたしが携帯の機能でわからないことがあるといった ら、shujiくんがとっても嬉しそうにシャキシャキと教えてくれた。なるほど、噂通りの携帯博士。さすがぢゃ。

2000年11月12日

 大宮でラジオの公開放送をやっていたGacktくんの取材。
彼はプリプロ中で とっても忙しいので、東京に戻るまでの車の中でインタビューすることになった。その車がバンだったんだけど、向き合って座ると膝がくっついちゃうくらい狭かった の。それにわたしは乗り物に逆向きに座ると酔ってしまう人なので(そっちの理由の 方が大きいかも……)、隣に座ってのインタビューとなった。
  それで、取材のあとに、彼は、「悪いけど、シャツのいちばん上のボタンをはめてくれる?」っていう の。その日のGacktくんはそのあとにどこかに行くらしく正装してたんだけど、 突然、そんなこといわれたもんで、緊張してなかなかボタンをうまくはめることがで きなかった駄目なわたし。
で、そのあと、ひとりでネクタイをしめてたんだけど、「あれ、どっちだっけ?」とかブツブツいってるの。「そこで、2回、回すんじゃないの?」とかいい加減なこといってたら、「あ〜、3秒くらいでシュッシュッってネクタイしめてくれて、はい、できたわよなんていってくれる彼女が欲しいなぁ」 といって、車を降りていってしまった。どーせ、わたしはネクタイどころか、ボタンもかけられませんよーだ←でも、これってよーく考えたら、恐ろしくぶきっちょかも……。

2000年11月11日

ラクリマのラジオ。
前日、SHOXXの表紙撮影の流れでyasuと遅くまで飲んでたというSHUSEは、しっかり遅刻してきてしかもドロドロ。その前の日も全然寝てなくて、撮影してる時から死にそーだったんだって。だったら、終わってから飲みになんていくなよぉ……なんて、わたしは死んでもいえません(笑)。でもって、「yasuが怒っとったで。俺は何にも悪いことしてないのに、天敵だなんてひどすぎるって」っていうの。いえいえ、ほら、先月、SHUSEにも指摘されたとおり、わたしってばついつい好きな(?)人のことはいじめたくなっちゃう性分なのよー。

2000年11月10日

SAKURAの取材。
この日、彼は後輩がパソコンを買うので、秋葉原に一緒に行っていて、取材の場所にその後輩も連れてきた。インタビューの途中でその後輩くんに「SAKURAって、どんな先輩?」と聞いてみたら、「すっごく面倒見のいい人」といっていた。そうだよね、たしかに初めてパソコンを買う人にわざわざつきあって、いろいろアドバイスをしてあげるなんてすっごく優しいかも。わたしもパソコンに困った時、SAKURAに助けて欲しい〜っと思ったら、彼の愛機はMACだった。ちぇ。


2000年11月9日

 お騒がせな文章をアップして、ごめんなさい。
あそこにも書いたとおり、あれはプライベートな会話の中で出てきた言葉だったし、公式なものではなかったので、削除しました。やはりとてもデリケートな問題だし、ファンのみなさんを混乱させてしまったら、いろんな人に迷惑をかけてしまうからね。
翌日の夜中に本人から電話があり、わたしもかなり悩んで載せたのだけど、やはり軽率だったかなと思って、そうしました。もしかしたら、第三者からクレームをつけられたのかもしれないけど(←これは、まったく未確認)、本人がきちんと電話してきてその旨を伝えてくれたので、よかったです。そういうこともちゃんと自分でいうあたり、彼はやっぱり人間的にちゃんとしている人だなぁと思いました。
 みなさんからもたくさんメールをいただき、いろいろ考えさせられました。みんな本当にメンバーの気持ちを考えているし、それを理解しようと一生懸命なんだなと思いました。中には、あの文章が一日で消えてしまったことに対して、「ファンのためにと思って書いてくれたのに、大島さんの立場が悪くなったら」と心配してくれる人や、「嬉しくって掲示板に書きこんだわたしのせいです」なんて謝ってくれる人……。あと、「今から泣いちゃうかもなんていったら、ダメです。一緒に歴史に残るような素晴らしいコンサートにしましょう」と、怒ってくれた人。みんな、ホントに優しいね。中には、「自分の書いたことに責任を持て」なんて非難のメールを送ってきた人もいたけれど、「同じ文章を読んだ人でも、人間によってこんなにとらえ方が違うんだ……」と、なんだか感慨深かったです。
 二度目の電話をしてきた時、彼は「明日、香港に発つんだ。残りのコンサート、精一杯、頑張ってくるからね!」と、力強くいってた。メンバーも精一杯頑張るだろうから、やっぱ、見るほうも気合を入れなきゃね!


2000年11月7日

 昨日、薬を飲んで早く寝たのに、やっぱりまだ身体がだるい。なのに、わたしは9時からもう外出というハード・スケジュール。といっても別に仕事じゃなくて、バリから送った家具が港に着いているので、船会社にデリバリー・オーダーという書類を取りに行ったの。運送会社に頼めばすべて手続きを代行してくれるんだけど、せっかくだから自分で全部やってみようと思って、航空便の時と同じように自分で行ってみたんだ。風邪ひいてるっちゅーに、こんなことやってるから、なかなか治らないんだよねーっ。
 午後から、星子さんが始めたiモード「ポケ・ショックウェイブ」恋愛ゲームの取材をしにセックス・マシンガンズが撮影しているスタジオに行く。この恋愛ゲーム1回目La' cryma Christi2回目Janne Da Arcだったんだけど、メンバーが直筆もしくはちゃんとコメントして答えてくれるので、それぞれのキャラクターがわかって、面白い。合間に雑談してる時、ANCHANGがゲームのシチュエーションをいろいろ考えてくれて、「もしも、彼氏とホテルに行くとしたらというのが、面白いんじゃない!」とアイデアを出してくれた。それから、SUSSYと一緒に質問もいろいろと考えてくれたんだけど、ちょっとエッチすぎて、とても採用するわけには……。
 でも、シチュエーションは使えるかもしれないので、もしかしたら、ANCHANG発案の問題がポケショック・ウエイヴにのるかもよ!

2000年11月6日

 ラジオ番組「スイート・トランス・ジェネレーション」収録の時、大風邪をひいてスライムみたいにドロドロの状態でスタジオにあらわれたHIRO。打ち合わせの時とか狭いスタジオに二人で入っている時とか、何回も「俺、ここに風邪菌を撒き散らしてるんだろうな」とか、「大島さんに移せば、風邪が治るかな」とか、物騒なことばかりいってるの。でも、わたしはちょうど締め切りの真っ只中だったんで、「絶対にダメ。今、風邪なんてひいてられないもん」と断言していた。
  その後、YOSHIKIプレゼンツのエクスタシー・ナイトを、渋谷オンエア・イーストに見に行く。これはYOSHIKIプロデュースしたバンドがライヴをするというイベントだったんだけど、途中のMCにはお久しぶりのGEOGEが登場。ライヴの最後には、YOSHIKI自身も登場して、shiroのバックで一曲ピアノを演奏、その後観客が歌う「ENDRESS RAIN」のバックでピアノを演奏するというゴージャスなアンコールが行われた。終演後に楽屋をのぞきに行くと、YOSHIKIはとっても元気な表情。「すっごくカッコよかったよー」と誉めたら、ちょっと照れたように笑って「もうずーっとそういってるよね」というので、「10年くらい……いや、15年くらい、いい続けているかな」と答えたら、「そんなこというと、年がバレるよ」と突っ込まれてしまった。LAで会う時は撮影の合間のことが多く、いつも忙しそうにしているYOSHIKIだけど、この日はなんだかとってもリラックスしている雰囲気だった。もっとも、この数日後には政府関係が主宰するサンディエゴのイベントに出演するため、LAに帰らなくちゃいけないといっていた。相変わらず忙しいお人ぢゃ。「このあと、ちょっとだけ、みんなと飲みに行くんだけどねー」なんていってたけど、本当にちょっとだけだったのかなぁ(笑)。
 さて、せっかくみんなから打ち上げにお誘いいただいのだが、この日は本当に家に帰って原稿を書かなくてはならなかった。だって、21日発売のロックンロール日記の原稿を、まだ書いてなかったんだもん。普通はどんなに遅くても月頭には入稿するんだけど、とにかく先月から今月にかけては大忙しだったので遅れに遅れちゃっていて、担当編集者関根っちから「マジに、お願いしますぅ〜」という悲鳴のような電話がかかってくるほどだった。だから、真面目におうちに帰って原稿を書いていたのだが、夜中の12時をすぎた頃から急に熱っぽくなってきちゃったの。寒気はするし、喉はカラカラだし、あきらかに風邪の初期症状「しまった、HIROに風邪を移された」と思った時は、もうあとの祭り。「きっとHIROの風邪菌は極悪に違いない」と思ったわたしは、風邪薬ビタミンC栄養ドリンクを飲んで、そそくさとベッドに入った。ああ、また原稿が一日遅れてしまう……。関根っち、ごめん〜。悪いのはわたしじゃなくて、

風邪菌撒き散らし男のHIROなのよぉ。

2000年11月4日

 恒例スイート・トランス。最初から最後まで5時間半という長丁場で、ライヴは楽しかったんだけど、途中でお尻が痛くなってしまったわ。終演後はいつものように出演バンド全員が揃っての打ち上げパテ−ィがあったのだけど、その直前に突然「今日の出演バンドから、感想のコメントがもらえます」といわれて、わたしはお仕事になってしまった。コメント録りはパーティが始まって少したってから行ったんだけど、中には既にほろ酔い加減の人もいて、「文章にならなかったら、うまく直しといてください」なんていわれたりした。もちろん、わたしも仕事が終わってからは、ちゃ−んといっぱい飲んだわよ(笑)。


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