[ROCK'N ROLL DIARY]



2000年12月31日

 21世紀を迎えるカウントダウンは、恵比寿のギルティでJ*Jeniusと一緒に迎えた。
10月くらいにカウントダウンの話が出た時、「10年以上も大晦日はXと一緒に過ごしていて、やっと人並みに静かなお正月を迎えられるようになったのに……」とブツブツいってたら、Mくんが「じゃあ、これからの10年間、暁美さんの大晦日をJ*Jeniusが忙しくしてあげます」と、頼もしくいってたの。その言葉はとっても力強かったんだけど、実際のカウントダウンはもしかして10秒ずれてたように思うのは、わたしだけ?(笑)。もっともこの日はパーティのはしごで5時半頃から飲んでいたんで、もう既に酔っ払っていて、ハッキリはわかってないんだけ どねー。まぁ、昔、Xも鹿鳴館でカウントダウンをした時、間違えて12時をすぎ ちゃったり、やりなおしたり、いろいろあったもんね。お祭りだし、いっかー。

2000年12月29日

 年の暮れも押し迫ったこの日、J*Jeniusの初ワンマンがあった。
彼らがライヴ活動を始めてから、わたしは一度も欠かさずにステージを見ているけど、今まででいちばんいいライヴ。持ち時間が短いステージよりもワンマン、小さな場所よりも 大きな会場が似合うバンドだって、とっても思ったよ。ホント、楽しみなバンド。J*Jeniusのこともっと知りたい人は、わたしのHPを見てね。

2000年12月28日

 ZIGZOのライヴ。
久しぶりに見る彼らのステージはかなり男っぽくなっていて、ものすごく力強かった。この間、取材した時、SAKURA「感情をドラムで表現したい」といってたけど、各楽器の叫びが一つ一つ胸に響いてくるような生々しいライヴだったよ。
 終演後は見に来ていたプラ・トゥリフェアリー・フォーレダブルTAKASHIと、オール・アイ・ニードのAKITOくんたちと飲みに行く。それで、いつものようにガシガシ飲んでいる最中に、SUGIちゃんから電話があった。実は、わたし、前日、彼とは全然話ができなかったので、夕方「お疲れさま」をいおうと思って 電話を入れたのね。それに気がついて電話をくれたらしいんだけど、開口いちばん 「ね、昨日のライヴ、どうだった?」って聞くの。ずーっと昔、ロックンロール日記に「SUGIZOはライヴが終わったあと、必ず最初に『今日のライヴはどうだった?』って尋ねる」って書いたことがあるけれど、ラスト・ライヴのあとでもそう尋ね る彼がなんだかとても愛しかった。ホントに、ステージが大好きなんだなぁって痛感したよ。それは夜中の1時頃で、まだライヴの写真チェックをしていたみたいだけど、お正月は少しゆっくりできるといってた。12年間全力で走り続けてきたんだも ん、少しはゆっくり休んでね。それで、また来年はバリバリ活躍してほしいな。
 さて、ダブルTAKASHIとわたしはその店を出たあとももう一軒飲みに行った んだけど、翌日、プラTAKASHIから「昨日、2軒目に行ったってさっき聞いたんだけど」っていうメールが入ってた。もぉ、TAKAちゃんったら、2軒目に行ったこと覚えてないのね(笑)。もっともわたしも2軒目に行って大根サラダを頼んだこ とは覚えてるけど、何を話したかほとんど覚えてない。「今日は、僕、とことんつき あいます」といってたフェアリーTAKASHIは、そんな酔っ払い二人を見てどー 思ったんだろー。迷惑かけてたら、ごめんね。


2000年12月27日

 LUNA SEA東京ドーム二日目。
昨日のコンサートもよかったけれど、今日は まさに終幕にふさわしい素晴らしいコンサートだった。5人の持つエナジーが一つに なって無限大に昇華していく瞬間が何度もあって、LUNA SEAは本当に偉大な バンドだったんだなとあらためて痛感した。数日前まではステージを見るのがちょっ と辛くて、正直なところ気が重かったんだけど、いざライヴを見たら悲しさよりも感 動のほうが大きくて、入り口でスタッフに「きっと泣いちゃうよね」と手渡されたハンカチも、出番はなかった。ライヴ自体も「終わり」という悲壮感はあまりなく、 きっとメンバーの心の中にはいろんな想いが走り抜けていったりしてたんだろうけど、最後のカーテンコールでは5人が5人ともとても晴れ晴れとした表情をしてい た。RYUICHIがMCでもいってたように、「これは終わりじゃなくて、始まり なんだ」という言葉を、素直に受け止めることができた。終演後のパーティで、が 両手でしっかりと握手してくれながら、「本当に今まで長い間、いろいろとありがとう。そして、これからもよろしくね!」と力強くいってくれた時、それを本当に実感 することができた。21世紀に向けて走り出す5人の活躍を、心から楽しみにしていたい。

  オマケ@この日のゲストはものすごい数で、中にはLUNA SEAがインディーズ だった頃やデビューしたての頃のスタッフや友達が、たくさん顔を見せていた。もう音楽業界から離れてしまった人や、実家に帰ってしまった人などとは、最近はもうほとんど会う機会がなかったのだけれど、みんな「今日だけは来なくちゃと思って、 やってきた」と口々に語っていた。終演後のパーティもスタッフが「1000人くら いはいるかも」と驚いていたほどで、音楽業界で働いている人たちはほとんど顔を出しているんじゃないかと思うくらいの盛況だった。でね、ふとhideちゃんがいた ら、きっと客席でサングラスをかけながら、ウルウルしながら見てたんだろうなぁと 思ってしまった。東京ドームのどこかから、ちゃんと見守ってくれていたと思うけど ね。

 オマケA二日間ともステージ中央のデベソ(客席の中に突き出している花道)のまん 前というとってもいい席のチケットをいただいてライヴを見ることができたんだけ ど、「WISH」の時の銀ロールがちょうどわたしの上に降ってきたのね。今までライヴの時に何か飛んできても別に持って帰ろうという気になったことはないんだけど、ホントにこの時はわたしの上に降ってきたという感じだったで、手にとって持っていた。でも、あの銀ロールって、ものすごく長いものなのよ。それで、反対側の端をゲットしたのは他の女の子だったんだけど、もう片方の端をわたしが持っているのを見ると、ニコニコしながら一生懸命に切ってくれた。「わたしは関係者だし、せっ かくもらったけど、お客さんにあげた方がいいのかな」って思ってただけに、その笑顔がとっても嬉しかった。気がついたら周りのファンはみんな銀ロールを仲良くわけっこしていて、よくライヴ中にアーティストが投げたものをファンが取り合いして いる光景を見ているだけに、LUNA SEAのファンはみんな優しいんだなって思ったよ。ゲットしてきた銀ロールは、恒例の「お正月スペシャル」のプレゼントにしようと思っているので、お楽しみに!
  オマケB最後のカーテンコールの時、会場全体を見回してみようと思って、うしろを振り返ったのね。わたしの席のすぐうしろはPA席でスタッフがたくさん立って見ていたんだけど、その中央にいた事務所のボス阪上社長が、ステージに向かって一生懸 命拍手をしていたの。自分の事務所の所属アーティストのステージに、無心に拍手を送れるのっていい光景だなぁって、なんだかとても暖かい気持ちになってしまった。 阪上社長も、10年間、お疲れサマでした! 


2000年12月26日

 LUNA SEAの東京ドーム。
……やっぱり、いいバンドだよね、LUNA SEAは。5人が発するあのエネルギーの熱さは、なかなか他のバンドでは味わえない。今回のLUNA SEAの東京ドームのライヴ・レポート、わたし、最初は渋っていたのね。「毎年、年末になると、最後のライヴのレポートを書くのは、もうイヤだ。一人のファンとして、客席でゆっくりとラスト・ライヴを堪能したい」ってごねたんだけど、やっぱりそんなことが許されるわけもなく、結局は仕事になってしまった。この日はメンバーもファンも意外に淡々としていたんだけど、まだ明日があるからね……。明日は、どんなライヴになるんだろう……。

2000年12月25日

 氷室京介のライヴに、MとTAKUYAくんとKEITOくんとで行く。
氷室さんのライヴに行くのはすごい久しぶりだったんだけど、ギタースティーヴ・スティーヴンスだったんだよね−。スティーヴ・スティーヴンスというのは、昔、ビリー・アイドルと一緒にやってたギタリストで、わたしは彼のソロ・プロジェクトのアトミック・プレイボーイズが大好きだったの。やはりスティーヴ・スティーヴンスが好きなKEITOくん、もう一人のギターも大好きだというTAKUYAくん、氷室さんが好きだというMと、みんなで目を輝かせながらステージを見ているサマは、ただのファンの集団だったかも(笑)。それで、終演後、会場のZEPP東京の隣にある駐車場から車を出そうとしたら、なんと出るまでに2時間もかかった。2時間だよぉ! そっかー、今日はクリスマスだもんね−。そして、20世紀最後のわたしのクリスマスは車の中で終わってしまったのだった、くすん。

2000年12月22日

 久しぶりに、及川みっちーのライヴに行く。
今年は取材がほとんどなくて、テレビのブラウン管でしか会えなかったみっちーだけど、ステージはさらにショーアップした感じだ。終演後、楽屋で会ったら「ねー、ライヴ、よかったでしょ!できることは全部やったんだから!」と、胸を張っていたよ。「何で、最近、取材がないの?音楽雑誌は、僕を見捨てちゃったのかなぁ」なんて、とんでもない。みっちーが忙しすぎて、取材時間が出ないんじゃないのぉ(涙)。

2000年12月17日〜21日

 10月に引き続き、J*Jeniusのレコーディング。
10月に初めてスタジオに入った時に比べると、みんな作業に慣れてきたのか、少しは余裕が見える。完成した音源は、まだいつどういう形でみなさんのお手元に届けられるかは検討中なんだけど、かなりいい出来だと思うよ。「EDEN」というバラードは、仮ミックスが終わった段階で、思わず「わたし、この曲が嫌いなんていう人と、口をききたくなーい」と叫んでしまったほど(笑)。スタジオの中はたまに真面目な緊張感が漂ったりはするけれど、普段は結構楽しく和気あいあいとやってる。卓のうしろでバリバリおせんべいかじってる人はいるし(誰でしょー)、パソコンに向かってバンドのロゴやピックのデザインを考えている人はいるし(誰でしょー)。基本的な歌入れはわたしが任されているんだけど、「岡野さん、今のテイク、良くなかった?」って振り返ると、岡野さんはソファに横になってすっかりリラックスしていたり。そんな中でもいろんな意見が飛び交って、作品が少しずつ形になっていくのは、ホントに楽しい。メンバーも、「レコーディングは楽しいから、大好き」っていってるしね。少しでも早くみんなに聞いてもらえるように頑張るから、楽しみに待っててね−!


2000年12月12日

 スイートハートの社長さんの結婚披露宴。
ホテル・オークラのものすごーく大きな宴会場にたくさんのゲストとアーティストを招いて、約4時間に及ぶ盛大なパーティが催された。SHAZNA「メルティ・ラブ」のアコースティック・バージョン、プラスティック・トゥリー「ロケット」LUNA SEA「I for you」Pierrotは「俺達は縁起の悪い曲しかないけど」といって「チャイルド」ラクリマ・クリスティは花嫁さんのたってのリクエストで「WITH YOU」と、各バンドが心を込めて自分たちのレパートリーを披露。
花嫁さんは感動で、つい涙ぐんでしまうシーンもあったよ。ミュージシャンたちはほとんど全員が正装で、似合っている人もそれなりの人もいたのが微笑ましかった(笑)。
 でも、「I for you」を聞いていて、「ああ、この5人で演奏しているのを見るのも、あと残すところ2回なんだな」と思ったら、ちょっとだけ胸が痛くなってしまったな。盛大な披露宴のあとは、盛大な二次会。さらにたくさんのゲストが集まって、新郎新婦を祝福した。この会場では、ビンゴの一等賞はベンツのSL150だという噂が広まっていた。「SL150(……だったかな。ごめん、詳しくないので間違ってるかも)だったら、新車で1500万くらいかも」と瞳を輝かせているLEVIN、ビンゴのカードを握り締めて「念を送ってる」というAKIRA、「当たったらどうしよう」とマジに考えている竜太朗等、ミュージシャンもゲストも胸をわくわくさせている。結局、ビンゴ大会で見事ベンツが当たったのは、HIRO。でも、あんまり嬉しそうじゃないの。どうしてかと思ったら、本物じゃなくて1メートルくらいのミニチュアだったんだって。たしかに、ビンゴの商品のところには「ベンツSLXXX」の文字のあとに、小さく?マークがついている。でも、本物が当たっちゃったらそれはそれで大変だろうから、ミニチュアでよかったんじゃないのぉ。ね、HIROくん←自分が当たらなかったから、冷たい(笑)。 それにしても、フェラーリだとかベンツが商品かもっていう噂が飛んで、それをみんなが信じちゃう阪上社長って、やっぱ、ただものじゃないよね〜。

2000年12月11日

ラクリマのラジオ。
この日はTAKAHIROの二人がゲストだったんだけど、本番以外の話題はもっぱら翌日に控えた彼らの事務所スイート・ハートの社長さんの結婚披露宴についてだった。ゲストをたくさん招待して盛大に行われるということで、所属アーティストも一バンド一曲ずつ演奏をすることになっているという。その前からメンバーがそのためにスーツを買ったとか、演奏する曲は何にしようとか、スイート・ハート所属のバンドの間では、すごく話題になっていたんだよ。しかも、わたしは二日前にLUNAくんから「ビンゴの一等賞が、フェラーリらしい」という情報をゲットしていたので、それをいったらみんな一気にヒートアップ。半信半疑ではあったものの、やっぱりそんな話を聞いたら盛り上がっちゃうよね〜。

2000年12月8日

 友達が、2メートル40センチもある巨大なクリスマス・ツリーをくれた。それで、いろいろ飾りや電飾を買って飾りつけをしたんだけど、できあがったらすごぉくきれいなの。ちょっと感動。こういうのを見てるだけで幸せな気分になれるのって、いいよね〜。だけど、クリスマスが終わったら、この巨大なツリーはいったいどうなるのだろーか……。

「最近、ウランちゃんはどうしてますか?」
というメールを何通かいただいたので、久しぶりのウラン情報
新しいお部屋に引っ越してかなり広くなったので、ウランはしょっちゅうかけっこしてます。引越し直後は不安定だったらしくて、わたしが持ってる中でいちばん高かったヴェルサーチのスエードのコートにおしっこをして、わたしはもう怒る気力もないくらいショックだったんだけど、部屋に慣れてきたらご機嫌さん。しょっちゅうお客が来て「ウラン、ウランって可愛がってくれるのが、気分いいみたい。もともとタレント猫だから、誉められるのが好きなんだろうなぁー。
 まー、そんなわけで以前よりも仲良く、二人で暮らしています。酔っ払って帰ってきて、ウランにごはんをあげずに寝てしまうのだけは、やめなくては……と思うんだけどね−(笑)。

2000年12月7日

 Dir en greyの取材。
この日の彼らはギッシリと取材の予定が入っていて、わたしに与えられた取材時間は40分。だから、シャカシャカと始めようと思って、雑誌の最新号を読んでいる京くん薫くんに、「はいはい。読書はあとにしましょうね」といったら、「うわっ、イケズな学校の先生みたい」とメチャクチャ評判悪かった。ちぇ。それで、取材は某談話室で行われたんだけど、部屋の中はかなり暖かかったのね。なのに、Toshiyaくんはセーターに上に真っ赤なコートをずっと着てるの。「なんでだろう?」と思ったら、それはヴィヴィアンのコートだったからなの。彼がヴィヴィアン(・ウエストウッド)好きなのは有名だけど、実はわたしもかなり好きなんだ。それで、新しいアイテムをゲットするとお互いに自慢しあって るんだけど、Toshiyaくんはそのコートを自慢したくて暖房のきいた部屋の中 でも着ていたわけよ。さすがに暑かったらしくて途中でコートは脱いだけど、終わってから「自慢したくて、着てたんでしょ」といったら、「当然じゃないですか!実は暑かったんだから」といってたよ。

2000年12月6日

 朝、起きたら、耳はふつーに戻ってた。ホッと、一安心。
夜は、ラルクの東京ドーム。アンコール前に「久しぶりに『虹』を、聞きたいなぁ」っていってたら、バッチリアンコールの一曲目に演奏してくれた。わたしの願いが、hydeくんに通じたのかしら(笑)。この日、いくつかの編集部から「あさってから、LAに行けないか?」というオファーがあった。大将の3回目のセブンイレブンのCF録りが、あるからだ。前2回とも行ってるわたしとしては、なんとか行きたかったのだけど、さすがに今回だけはNG。ラジオの収録とか動かせない仕事が、いくつも入っていたからなの。ん〜、残念ぢゃ。

2000年12月5日

 Dir en greyのライヴ。
彼らは、ツアー初日の時よりも、さらにたくましくカッコよくなってたよ。
ライヴのテンションもすごく高くて「さすが」って感じだったんだけど、なにしろ音が超ウルトラ大きかったのよ〜。運の悪いことに、わたし、その前日、2時間くらいしか寝てなかったんで、余計にきつかったのかもしれない。ライヴが終わってからもずーっと耳鳴りがしてて、友達との会話もちゃんとできなかったくらい。終演後、それをDieくんにいったら、心配してくれるどころか、「しょっちゅう大きな音のライヴばかり見てて、きっと職業病ですよ。あさって(ディルの取材が入ってた)までに治らなかったら、引退したほうがいいんじゃないですか?」って、ニコニコしてるの(涙)。

くすんくすん。一応、京くん薫くんは、「明日の朝治ってなかったら、病院に行った方がいいですよ」って、いってくれたのにぃー。

2000年12月2日

 J*Jeniusのライヴ。
トップページで、「今日は飲むぞ〜!」と宣言したら、ホントに飲んでしまった。反省。

2000年12月1日

 月末のいちばん忙しい時期だというのに、バンコクに出張してきた。時々やってる女性誌の旅もの企画。なんかね〜、急にどこか違うところに行きたくなっちゃったんだ。5日間と短かったけど、気分転換できてよかったな。新しいお部屋のための雑貨とかタイの食材とか、いっぱい買えたしね。なにしろここに引っ越してから、2〜3日に一度くらいの割合で誰かが遊びに来てるから。
今月は、忘年会やパーティで、また忙しいんだろうな……。


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