[ROCK'N ROLL DIARY]

2001年1月31日
 昨年の終わりにエイトビート・ギャグで対談した漫画家の柴田亜美さんシマあつこさんと、女3人で新年会。原稿を描き終えたら飲もうね!と約束してたんだけど、みんなのスケジュールがなかなかあわなくて、延び延びになっていたの。夜の7時から飲み始めて、結局酔っ払い2人が主婦であるシマさんが終電で帰ろうとするのを「もー少しいいじゃない」と引き止め、深夜までワイワイ。それで、2時すぎに3軒目の店に行ったんだけど、なんとそこで3人揃ってオーダーしたドリンクにほぼ口もつけず、爆睡しちゃったの! 青山のオシャレなバーで、夜中にガーガ−寝ている女3人を見て、お店の人は「カワイそうに。相当、疲れているんだね」と起こさないでいてくれたらしい。おかげで、翌日、わたしは大風邪引き。シマさんと柴田さんは、大丈夫だったのかなぁ……。
2001年1月27日
 朝から雪が降っている。窓から見える景色は、一面の銀世界。
午後に入っていた打ち合わせも「こんなお天気では」と延期になったし、夜のJのライヴも延期かもしれないなぁなんて思って、猫のウランと一緒にぬくぬくお昼寝してた。そしたら、SHOXX編集部の鬼の担当者G氏から電話があり、「今日のJのライヴ取材、よろしくお願いしますね」というの。「えっ、こんな天気でもやるの?」といったら、「そりゃあ、Jのことだから、やるんじゃないですか」と涼しい声。あわてて、レコード会社の担当者に電話したら、「そりゃあ、Jのことだから、やるに決まってるじゃないですか!」と同じ答えが返ってきた。
  ライヴがあるなら行かねばならぬ……と、重装備で出かけたら、会場の入り口で大阪から来たファンの方から声をかけられた。「こんな天気なのに、大変だったね」といったら、「でも、わたしたち、チケットないんですぅ。だから、外から応援します」と寒さに震えながらも、けなげにいうの。みんな、えらいっ!
  雪だというのにものすごい数の関係者が集まっていたので、終演後はそそくさと退散。来月早々、取材の予定が入っているから、Jにはその時にいろんなこと聞こーっと。
2001年1月26日
 J*Jeniusのワンマン・ライヴ。この日も、飲みすぎ
2001年1月25日

 ROLLYと声優の神谷明さんの対談。
いつもはこの対談をリードするROLLYも、神谷さんのパワフルなトークにちょっと地味目だった。その後は、先月、突然、SHINJI脱退のインタビューをしたLAIDの取材。11日には現メンバーでの最後のライヴが控えているけれど、さすがですね、LAIDさんっていう感じ。詳しくは、SHOXX次号を読んでね。

2001年1月24日

 二度目のワンマン・ライヴを控えたJ*Jeniusのリハーサルを見に行く。
体調があまりよくなかったわたしは、寒くないようにと厚いセーターを着ていった。でも、狭いスタジオで本番さながらの演奏をしているものだから、室内の気温はどんどん上昇。気がつくとレコーディングでもライヴでも気合いが入るとすぐ裸になるYUJIを始め、メンバー全員が上半身裸になっていた。それだけ、リハーサルにも気合いが入ってるってことなんだけどね。おかげで、わたしまで汗をかいてしまったわ。
J*Jeniusは2月から初めての全国ツアー、春はいろいろイベントにも出演する予定なので、チェックしてね!


2001年1月21日
 Dir en greyのライヴを、Mくんと綾くんと一緒に見に行く。
京くんの喉の調子が心配だったけど、先月ZEPPで見た時よりも声が太くなっていて驚いた。 それを本人にいったら、「最近、よくそういわれるんですよ。どうしてでしょうね」 と首をかしげていたよ。それで、打ち上げに出てビールをいっぱい飲んで帰ろうとし たら、Toshiyaくんから「もう帰っちゃうんですか?」というお誘いの電話。 結局、メンバーがいた西麻布の店に行ったんだけど、またまた朝まで飲んでしまって ヘロヘロ。ダメ人間な一日となってしまった。反省。
2001年1月20日
 La' cryma Christiのツアー最終日。
2階の関係者席に通されると、右隣には竜太郎、左隣にはTAKASHI、後ろにはAKIRAと、まるでプラに囲まれているような席だった。ライヴは、とってもよかったよ。ラクリマは本当にいいバンドだなって、あらためて思ってしまった。ライヴの中盤でTAKAが各メンバーにマイクを向けた時、「KOJIは最後にカッコいいことをひとこと決めてくれ るから」といっていたのに、彼はアンコールの最後に何もいわずに引っ込んじゃったのね。あとでそれを指摘したら、「そうなんですよー。いおうと思ってたのに、つい忘れちゃって。今日がツアーの最後だったのに」と、ちょっと残念そうだったよ。
2001年1月18日
 ROLLYの取材を含めて、今日はアポが5つ。
あー、つい数日前まではバリ島で ウダウダしていたのが、夢みたいだわ(涙)。リンディックを習いに行くっていって たわたしは、どこいっちゃったのよ−。夜は、元Blue-BのYUKIとごはんを 食べるという名目で飲みに行く。でもって、飲みすぎて、またもヘロヘロ。
2001年1月17日

 午後1時から、Janne Da Arcの取材。
わたしはこの日、前の晩に飲み 過ぎてヘロヘロ。なんかジャンヌの取材の時って、二日酔いのことが多いんだよ なー。そんなヨレヨレのわたしに、yasuは会った瞬間「こんにちは」もいわず、 いきなり「ホンマはいったいいくつなんですか?」と、またまた直球をグサリ。なん でもロックンロール日記の第1巻をもらって読んだら、ますますその謎が深くなったんだって。「あの本が出たのって、もう10年くらい前のことでしょ。その時にあんな こといわれてるってことは……」って、取材中もずーっとニヤニヤしてるの。yasuのその視線が気になって、わたしは取材の間中ずーっと涙が止まらなかったわ、くすんくすん←ウソ。取材をしていたスタジオのミーティング・ルームが狭かったので、メンバーの吸ってる煙草の煙が目にしみただけ(笑)。でも、うちに帰ってyasuの言葉を思い出して、何気にロックンロール日記第1巻を読み出したら、止まらなくなっちゃった。自分で書いといてナンですが、あの本ってすごい内容だよね。あ まりにも内輪話すぎて、きっと10回くらい読み直さないと何いってるのかわからない かもしれない。たしかにyasuの疑問も当然かもしれない……と、つい素直に思っ てしまったわ(笑)。

2001年1月15日

 午前中にバリから帰国し、夜は早くもプラスティック・トゥリーの取材。
南国気分 とも、あっという間にサヨナラである。さて、毎回、恒例の取材の腰をポッキリと折 る困ったちゃん、今回は竜太郎選手じゃなくてAKIRAセンセーだった。いつもの ようにスーパー・リーダーのTADASHIくんが熱弁を振るっている時、隣のほう からこそこそとヒソヒソ話の声が聞こえてくるの。それはAKIRAくんと雑誌編集 者の雑談だったんだけど、ヒソヒソ話の声ってフツーの会話よりも耳に入ってきちゃ うんだよね。「耳がダンボになっちゃうから、そういう声で話さないでよぉ」と抗議 したら、AKIRAくんは「あー、今月は僕が話のコシを折っちゃいましたね、ハハハ」だって。まったく、もー(笑)。


2001バリ島

 12日間のバリ島バカンス。
この日記には何度も出てくるからみんなも知ってると思うけど、わたしはバリが大好きで、もう15回くらいは行ってる。でも、昔は一ヶ月単位でゆっくりとあちこちブラブラしていたんだけど、最近はそういう自由な旅ができなくてちょっぴり寂しい。今回はほとんどウブドという山の中で過ごしていて、 なんと一度も海を見なかった(笑)。それでね、リンディックという竹でできた木琴を教わってたの。もともとわたしはバリの民族楽器のガムランの音が大好き(世界中の楽器の中で、いちばん好き)なんだけど、基本的にガムランは大勢で演奏するものな のね。でも、ガムランの素朴バージョンともいえるリンディックは一人でも演奏できて、田舎のほうに行くと夕方民家の軒先からリンディックの調べが聞こえてきて、それはそれは気持ちのいいものなの←わたしがバリを好きな理由の一つが、夕方どこからともなく流れてくるリンディックの音色だっていうくらい。でも、今まではどこで 習ったらいいのかわからなくて、勉強したことがなかったんだ。そしたら、今回、急な夕立ちにあって、雨宿りに入ったカフェにリンディックの先生がいたの。早速、その翌日からカフェの裏の民家の軒先で、演奏の仕方を教わり始めた。結局、ちょこっとだけ演奏できるようにはなったけど、最後に先生が「今回は時間がなかったから、 ほんの表面を教えただけ。本当はゆったりとした時間の流れの中で、風を身体に感じ ながら、弾くものなんだよ、リンディックは」と、いっていたの。その言葉を聞いて、今度はもっといっぱい休みをとって、ちゃんとリンディックを勉強しに来たいと思ったよ!

2001年1月4日

 今日から1年数ヶ月ぶりの完璧バカンスで、バリ島に出発。
朝の9時頃に成田空港に着いたら、SUGIZOから電話があった。実は、SUGIちゃん、去年の年末からバリに行っていて、今日の朝の便で帰国していたの。昨年末に話した時、「なーんだ、完璧に入れ違いだね」なんていってたんで、帰国早々電話をくれたらしい。
「今、どこ?」「わたし、ちょうど成田空港に着いたところ」「俺は、たった今、成田空港を出たところ」っていう会話(笑)。「もぉ、めちゃくちゃバリにハマッたよぉ」 というSUGIちゃんは、「今回は短かったから、ホテルでゆっくりしてたんだ」といったあと、「あ、でも、ダイビングをやったよ。大島さん、ライセンス、持ってんだよね? 今度一緒にやろうよ。すっげー別世界みたいにきれいだよね」と、ハイ・テンション。さらに、「それから、バンジー・ジャンプもやった。あと、パラセイリングもやったよ!」と、いろいろ報告してくれた。でもねー、どこが「ホテルでゆっくりしてた」んでしょーねぇ(笑)。昨年、雑誌の記事の中で久しぶりに「パワフルSUGIちゃん」というニックネームを思い出して書いたんだけど、マサにパワフルSUGIちゃん健在という感じで嬉しかったわ。

2001年1月3日

 今年一つ目のライヴは、Janne Da Arcの武道館。
21世紀初めのコンサートにふさわしく、熱気のこもったステージだった。yasuは「絶対に泣いてない」といってたけど、大型プロジェクターに写った彼の瞳がウルウルしていたと感じたのは、わたしだけかな?


2001年1月2日

 マンションの管理人室に、ボロボロになった携帯電話が置かれているのを発見。
すぐにそれを持って今日も営業しているショップに飛んで行ったんだけど、なにしろ中の配線が飛び出しちゃってるくらい壊れてるの。お店の人も、「これは、車に轢かれちゃったんですね−」とあきらめ顔。だけど、電源を入れたらちゃんと入って、しかも電話もかけられるのよ。もうダメだと思ってた電話番号のデータも残っていて、「よくこんなに壊れてて、データが残ってましたよね−」と驚かれてしまった。持ち主に似て、携帯電話も相当しぶといのかもしれないわ(笑)。結局、新しい電話を買わなくてはならなかったけど、とりあえず電話番号のデータが消えなくてすんだのでホッと一安心。それで、家に帰ってからは、ガシガシと原稿書き。4日からお正月休 みをとるので、その前に原稿をすべてあげてしまわなくてはならないからだ。でも、携帯も見つかったし、お仕事ははかどったよー。
きっとわたしはこの調子で、21世紀もしぶとく生きていくんでしょーね。

2001年1月1日

 カウントダウンの打ち上げで4時頃まで飲んで、ヘロヘロ状態で帰宅。
でもって、起きたら携帯電話が見当たらないのよ−。あわてて誰かに聞こうとしても、電話番号が全部携帯のメモリーの中だから、どこにも電話をかけられないの(涙)。あーあ、新年早々、いや、新世紀早々、わたしってば何やってんでしょ。それにしても、携帯がないとこんなにも不安なものだって、初めて知ったわ……。


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