[ROCK'N ROLL DIARY]

2001年3月31日

 J+Jeniusのワンマン。
1曲目からギターの音が出ない!というアクシデン トに見舞われるが、それがまったく気にならないほどのいいライヴだった。だって、アンコールの時、彼らが武道館でやる時の光景が浮かんじゃったもんね。熱のせいかな? いいや、そんなことはない。いいライヴだったので気分よく、終演後、ついついワインを飲んでしまう。ああ、こんなことだから、ヤチュリン菌に負けてしまうんだよなぁ〜(涙)。

2001年3月30日

 熱がまったく引かず、そういう時に限って仕事が詰まっていて、とうとう大嫌いな医者へ。しかも、自分から「注射を打ってください」という。こんなことは、10年ぶりくらいぢゃ(涙)。夜は、プラスティック・トゥリーのライヴ。あまりの人の多さにクラクラして、4曲目くらいで気持ち悪くなって、ロビーに出る。そしたら、レコード会社の人が「ここで見てください」とチケットをくれた。その人の背中に、後光がさして見えた。

2001年3月28日

 Jの取材。詳しくは、SHOXXのロックンロール日記を見てね。

2001年3月27日

 だましだまししていたヤチュリン菌が身体中に回り、ダウン。

2001年3月26日

 4月から始まった茨城栃木放送の「スイート・トランス・ジェネレーション」の録り。お相手は、フェアリィフォーレ。詳しくは、SHOXXのロックンロール日記を見てね。

2001年3月23日

高田馬場のエリアに、イベントを見に行く。

2001年3月22日

 真昼間っから、Janne Da Arcの焼肉取材。以前、トップ・ページに 「わたしの大風邪の原因は、ヤチュリン菌」と書いたが、それはこの日にここのバンドのヴォーカルさんにいただいたもの。詳しくは、アリーナ37°Cの特集号「毛乳頭スペシャル」を見てね。その後、Gacktくんの取材。詳しくは、SHOXXのロッ クンロール日記を見てね。

2001年3月21日

 4月から、星子さんと一緒にテレビ埼玉「HOT WAVE」の中の「SHOXX 専科」というコーナーに出演することになった。この日のゲストは、かげろう←わた しのパソコンでは、漢字が出てこない〜(涙)。意外と、メンバーはユニークな人た ちだった。詳しくは、SHOXXのロックンロール日記を見てね。


2001年3月17日

 J*Jeniusのミーティングの時、他のメンバーよりも一足早く着いたYUJ Iが「おとといも『今日は早く帰る』っていいながら、ベロベロになってたってMがいってましたよ」っていうの。まぁ、それは毎度のことなんだけど、「本当におとといはビールを一本飲んだら帰ろうって、心に決めてたのよ」っていったら、YUJI はすごーいマジな顔して「過去にそう思って、ビール一本で帰ったこと、あるんですか?」って、直球をグサリ! どーせね、どーせ、わたしゃ、意志が弱い人間だわさ。もしも、ちゃんとビール一本で帰れるような人間だったら、もう少しはマシな人生送ってますよぉだ。くすん。

2001年3月16日

 突然、NEEDを脱退したHISAYOSHIくんの取材。
「話したいことがある」という彼のリクエストでこの取材をすることになったのだが、インタビューを終えてからもついいろんな話が尽きなくて、次の取材に遅れてしまう。そのあとの取材はBEASTだったんだけど、わたし、昔から知ってるヴォーカルのG.B.Bくん以外は初対面だったのね(と思ってた)。それなのに時間に遅刻してしまって、なにしろ彼らはあーいうルックスだし(笑)、ちょっと恐くてずーっと敬語で質問していたの。でも、取材が終わってからMUDGUYくんが「オーシマさんって、前に一緒に飲んだことありますよね?」っていうのよ。よく考えてみたら、hideちゃんの スタッフだった小島まゆまゆ嬢の誕生日パーティで、かなり遅くまでディープな飲み会があって、その時一緒だったの。なぁぁんだ、あの時の××くんか!と思ったら、 気が抜けちゃった。なにしろ、ルックスが全然違ってたから、わからなかったのよ。 もぉ、最初から知ってたら、絶対に敬語なんて使わなかったのにぃぃ!!
 その晩は、LUNA SEAのスタイリストをずーっとやってたミカリンが、お酒を2本持って遊びに来る。でもって、ベロベロ(笑)。

2001年3月13日

 KISSのフェアウェル・コンサートを、東京ドームに見に行く。
なにしろわたしは96年の再結成ライヴをLAまで見に行って、そのあとKISSトリビュート・アルバムまで作っちゃったほど、彼らの大ファンだから、「これで最後」っていうライヴはやっぱりちょっと寂しかった。でも、最後までエンターティメントテンコ盛りのステージは、ある意味ですがすがしいくらいだったな。わたしの男の趣味の原型ともいえるポール(笑)は、前回よりも身体がしまっていて、とても50歳?とは思えないセクシーなお姿。前の時にはピチピチのパンツにちょっとだけお腹のお肉がのっていたので、きっとシェイプアップ頑張ったんだろーなぁ……。そーいえば、KISSトリビュートを作った時、担当ディレクターは「アメリカまでCDを渡しに行って、KISSに会ってきてほしい」とか、「日本に来たら、絶対に会わせる」とかいってたのに、そんな話はまったくなし。アルバムのレコーディングが終わった翌日から一切顔を会わせてないし、なにしろ打ち合わせには必ず45分から1時間は遅れてくるというラブリーな人だったから、きっと自分がいったことなんか30秒で忘れちゃったんだろーけどね。そんなことすっかり忘れていたんだけど、彼らのステージを見てたら、 突然、思い出してちょっぴりムカついてしまった。あーあ、やっぱ、ちょっと心残りだなぁ〜。


2001年3月12日

 4月から茨城栃木放送の「スイートトランス・ジェネレーション」に、フェアリィフォーレと一緒に出演することになったので、その顔合わせ。なにしろ年末に酔った勢いでTAKASHIくんに「縁結びのお守りを買ってきて」と頼んだら、彼は忘れずにちゃんと買ってきてくれたんだよね。一緒にやれることになったのは、あのお守りのおかげかも(笑)。
 今までプラスティック・トゥリーの時は毎回違う組み合わせの2人組、La’cryma Cristiの時は毎回ゲストは一人というパターンだったんだけど、今回TAKASHI×YOKOAKIHIDE×YASUというチームで、交互に出演することになった。でね、このミーティングの時、いろいろコーナーのアイデアを出したりしてたんだけど、AKIHIDE×YASUチーム は茨城栃木の名産(つまり、餃子と納豆ね)を新しいアレンジで料理して、それを食べ比べてみるっていう企画を出してたの。どーやら味見して判定を出すのはわたしになりそーなんだけど、YASUが何度も「納豆バナナとか」っていってたのが気にな る。ってことは、1回目は納豆バナナなのかな? うーん、どんな味がするんだろう……謎だ。他にも面白そうなコーナーを企画してるので、お楽しみに!
 正式決定したらこのHPでもお知らせするから、みんなどんどん参加してね!

2001年3月11日

 うちにミュージシャンが何人かやって来て、飲み会を行う。
でね、そこにyasuも来るはずだったの。でも、飲んでる時に何回電話をかけても留守電だから、「急に 用事でもできちゃったのかな」って思って、夜中の12時くらいに飲み会はお開きになったんだ。そしたら、みんなが帰ったあとにyasuから電話があって、「えーっ、もうみんな帰っちゃったんですか? だって、あの日記を読んだら、みんないつも絶対朝まで飲んでるじゃないですか。だから、僕、夕方の4時頃に寝て、徹夜の飲み会に備えてたのに−」だって(笑)。 うー、愛読者さまの夢を壊して申し訳 ないけど、最近はお開きが早いんですよ−。 まぁ、たまに朝までのこともあるけれど、わたし、そーいう時はたいてい記憶がないしなぁ……トホ。

2001年3月9日

 風邪が悪化して、とうとう一日寝込んでしまう。
今までは熱があっても休めない仕事が入っていたりして、なんとか頑張っていたんだけど、この日は打ち合わせが一本だけだったので申し訳ないけど、「ごめんなさい」してしまった。でもねー、ここ数日間、わたしがうちにいる時はずーっとベッドの中にいるもんだから、ウランが心配 してそばに来てくれるの。熱でしんどかった時、ウランが「みゃ〜」といいながらおでこを撫でてくれた時なんか、涙が出そうになるほど嬉しかったよ。だから、「風邪、移らないかな」って心配しながらも、毎日、腕枕して一緒に寝てたんだけど、ウランはピンピンしてる。やっぱ、猫って人間の風邪は移らないのかしらん???


2001年3月8日

 ツアーも残りあと少しになったDir en greyの取材。
今日はToshiyaくんとShinyaくんのインタビューだったので、「今回のマキシのリミックス はShinyaくんがやっているので、普段はおとなしい彼にいっぱい話してもらおうね」と編集F嬢と話していたのね。でも、フタをあけたら、やっぱり9:1くらい の割合でToshiyaくんのほうがしゃべっていた。終わってからF嬢に「やっぱりShinyaくんはおとなしかったね〜」といったら、「でも、いつもよりは ずーっとしゃべってたと思いますよ」とのこと。どのくらいしゃべってたかは、アリーナの次号を読んでね。

2001年3月6日

 yasuと竜太郎の対談。
普段はほとんど接点のない2人と聞いていたので、どんな展開になるのかなぁと思っていたんだけど、意外に竜太郎が話をリードしてくれて、面白かった。もっとも2人がいちばん盛り上がったのは、音楽業界の裏話とか ミュージシャンの上下関係の話とか、ちょっとアブナイ話題が多かったんだけどね← どこまで、書けるのかなぁ……。
 で、話がどんどん転がっていくのが面白くて、わたしが笑いながら2人の話を聞いていたら、竜太郎に「ちゃんと話の流れを作ってくださいよ。何年、この仕事、やってるんですか」と怒られてしまった。それで、「何 年」という言葉に反応したyasuと2人で、「ロック界の生き字引」とか「生き証人」とか、また人を老人のようにいうの……(涙)。途中で、「昔はどーして、 ミュージシャンはみんな友達同士だったんですか?」とか、「昔はどーして、みんな あんなに飲んでばかりいたんですか?」とか、質問タイムになっちゃうし。まー、 あっちこっち脱線しながらも対談は無事に終わったので、SHOXXの来月号をお楽しみにね。
 で、対談が終わったあと、yasuが「今日、どうしたんですか? すっごい疲れた顔してる」っていうのね。最近、ちょっとオデブが気になりつつあるので、昼間、 スポーツクラブに行ったせいかなと思ったら、「いつもと違って、笑っても目が笑ってない」っていうの。その時は自覚症状がなかったんだけど、家に帰ったら急に調子 が悪くなって、バタンキュー。スポーツクラブに行ったあと、髪が濡れたまま仕事に行ったので、風邪をひいちゃったみたいなの。でも、本人も気がついてなかったのに、それを指摘したyasuは鋭いかも。

2001年3月5日

 仕事のことで悩んでいる友達がうちにやってきた。
それで、ソファの上で目を線にして半分眠っているウランを見て、「ウランはいつも幸せそうでいいな−。わたしも1週間でいいから、ウランになりたいなー」と、つぶやいていた。そしたら、パチッと目を覚ましたウラン、タタタ……とトイレに走っていって、おもむろにオシッコ。 これって、どういう意味なんでしょうね−(笑)。

2001年3月4日

 池袋のサイバーで、J*JeniusとLAIDが同じイベントに出るので、見に行く。
LAIDKENJIくんが入ってから初めてのステージで、ほとんど飛び入り出演状態だったみたい。短かったけどいつも通り勢いのあるライヴで、以前よりも 男っぽくなった雰囲気。とくに、KEIZOくんが変わったような印象を受けた。 やっぱり相棒のギタリストが変わると、変わるもんなのかもしれないなぁー。実は、 髪を切ったSHINJIくんもライヴを見に来ていて、PA席からじっとステージの様子を見ていたよ。
 初のツアー中でテンションの高いJ*Jeniusは、ステージでメンバー同士が ぶつかってしまうのではハラハラしてしまうほど、エキサイティングなライヴ。機材を置く場所の関係で、TAKUYAくんとYUJIの立ち位置が逆だったのが、新鮮だった。
LAIDとJ*Jeniusは5/5のギルティのイベントでも対バンするので、お楽しみに!

2001年3月2日

 香港のスター、ニコラス・ツェーのコンサートを見に行く。
彼の事務所にLUNA SEAの東南アジア・ツアーに行った時に知り合った友達がいるので、招待してもらったの。俳優でもありシンガーでもある彼は、ニュー・アルバムでGacktくん の「OASIS」のカバーとかもやってるんだよ。終わってから楽屋に行くと、今度 彼に曲を提供する予定のSUGIZOが来ていた。久しぶりなのでついつい立ち話に花が咲き、「まー、立ってるのもなんだから」と楽屋のソファに座って話しこんでしまう。 LUNA SEA終幕後、まだ表だった活動はしていないSUGIちゃんだけど、今やってることと現在進行形の企画の話などを聞いたら、目が飛び出ちゃいそう だった。とにかくいろんなことが同時にたくさん進行していて、本当に超忙しいみた い。中には「うそー!SUGIちゃん、本当にそんなこと、やるの!?」って思わず わたしが叫んでしまったほど、ビックリするようなことも企んでいるので、とっても楽しみ。21世紀もパワフルSUGIちゃん健在って感じだね!


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