[ROCK'N ROLL DIARY]

2001年7月30日
 スイート・トランス・ジェネレーションの収録。今日は、現王園くんがレコーディ ングのためお休みなので、キューティ・チームにAKIHIDEくんとYASUの二 人が友情参加(?)。前回、登場した特別キャラクター現王園ウメさんも無事田舎に 帰って(←声が元に戻ったということよ)、いつものように快調にYASUをネタに 話を引っ張る。なんかYASUって、突っ込みやすいキャラなんだよねー。8月22日 にリリースされるデビュー・シングル「LOVE SICK」はアップテンポのすご く気持ちいい曲なんで、みんなも聞いてね! 最近、わたしの車の中のBGMは ずーっとこの曲です(^−^)。

2001年7月28日
 コケた。それも、駅の階段の上から、一回転しながら。自分でもびっくりしたよ。だって、世界が回るんだもん。一緒にいた友達も、あまりの激しい転び方に絶句していた。幸い擦り傷だけで済んだし、周りに人もいなかったからよかったんだけど、あれは一歩間違うと大怪我してたかもしれない。最近、ずーっと体調が悪いけれど、なんか足元もふらついているのかもしれない(涙)。
2001年7月24日
 Dir en greyの取材。久しぶりに会うメンバーは、きゃあ〜、なんかとってもさわやか。Toshiyaくんは髪をばっさりと切って涼しげだし、半パンから細ーい足を見せてるDieくんもなんとなく夏っぽい雰囲気になってる。でも、Toshiyaくんは夏風邪ひいてて、すごい鼻声だった。わたしのほうはもうずいぶん回復していたとはいえ、薫くんに「大島さんも、声、変ですよ。新潟の時も風邪ひいてたし、身体弱いんですね」といわれてしまった。でも、薫くんがそういい終わるか終わらないかのうちに、ToshiyaくんとDieくんの「飲みすぎなんじゃないんすかぁ?」という二重唱。確かに風邪ひいて咳が止まらなくても、ビールだけはやめられないんだけどねぇ……。


2001年7月23日
 NHK−BSの「真夜中の王国」にコメンテーターとして出演することになり、その収録。MANAさまコスの男の子を追いかけたドキュメンタリー・コーナーで、オンエアは7月31日の予定。
2001年7月20日
 J+Jeniusの新宿自主盤倶楽部でのインストア・イベント。この日から、彼らの夏のツアーがスタート。絶不調のわたしを尻目に、焼肉いっぱい食べて元気に大阪へと旅立っていった。
2001年7月19日
 Dope HEADzの取材。今回の風邪は熱が出るわけではなく、ただただ喉の調子が悪く、咳が出て、身体がだるいというパターン。この日もJO:YAくんの取材中に咳が止まらなくなって、マネージャーさんが医者でもらってきたという咳止めの薬をくれた。もぉ、最悪ぢゃ(涙)。
2001年7月18日
 テレビ埼玉「HOT WAVE」の収録。もぉ、こんな体調の時に、ラジオ〜テレビの収録が続くなんて、最悪。でも、おとといよりは声がまともに出るだけ、少しはマシだったかも。この日のゲストは、Psycho le Cemuのみなさま。なにしろ全員がフル装備の衣装でいらっしゃったので、「HOT WAVE」のスタジオのソファに5人全員座りきれない。仕方ないので、背中に剣をしょってるYURASAMAだけが、みんなよりもうしろの椅子に座ることになった。だって、あの衣装で背もたれのあるソファには座れないものねー。それで、いつもはゲストもスタジオ用マイクを襟元につけるんだけど、彼らの衣装にはつけることができず、結局、ハンドマイクでのトークとなった。この日もビールを飲んでた星子さんは、絶好調。8月のオンエアを、お楽しみにね!
2001年7月16日
 朝からまったく声が出ず、電話もかけられない状態。なのに、今日はスイート・トランス・ジェネレーションの収録なの! あまりにひどいガラガラ声のわたしに、YASUがTAKASHIのおばーちゃんの「現王園ウメ」というキャラクターを作ってくれて、おばーちゃんになりきって収録に臨んだ。「発見、僕の味!」コーナーでは、「喉にいい食べ物」「風邪にいい食べ物」を、わざわざ考えてくれたしねー(涙)。でも、番組中に咳は止まらなくなるわ、途中のCMのナレーションはNG続きだわ、本当にみなさまにご迷惑をおかけしました。でも、わたし以上にしんどそうだったのが、午前中に親知らずを4本も抜いてきたYOKOちゃん。麻酔からまだ覚めてない感じで、顔色は真っ白だわ、ボッーとしてるわで、本当に辛そうだった。でも、収録が始まる頃にはしっかり回復して、少なくともわたしの十倍はシャキシャキ番組に出演していたけどね。
2001年7月15日
 八王子で行われたJ+Jeniusのインストア・イベントに、メンバーと一緒に行く。この日は、もう、朝から声がガラガラで、話をするのもしんどい感じ。ホントはイベントが終わった後、うちで「ツアーに行く前にスタミナをつける焼肉大会」をするはずだったんだけど、メンバーも「きっと風邪だから、治したほうがいいっすよ」といってくれて、延期。でも、家に帰った10秒後には、一人でもう冷えたビールを飲んでたけどね(笑)。
2001年7月14日
 Gacktくんの誕生日パーティ。この日はマスコミ関係者もたくさん招待されていて、とっても盛大だった。Gacktくんもプレゼントのエアガンで遊んだり(かなり気に入っていたみたい)、エアコンのない部屋でビリヤードを汗だくになってやったり、リラックスして楽しんでいたよ。途中でYOUくんと話していた時のこと。隣にいた友達が、「YOUくん、大島さんと同じ匂いがする」っていうのよ。ドキッ。それで、「香水、何をつけてるの?」と尋ねたら、わたしと同じゴルチェだった。なるほど、同じ匂いがするわけぢゃ。でも、ゴルチェの香りって、結構、甘くて女っぽいんだよね。「男ものじゃなくて、女性用をつけているの?」と聞いたら、「これが僕にいちばんあってると思うんだ」と答えていた。Gacktくんのエゴイストも甘い香りだし、甘いコンビってことなのね!
2001年7月12日

 8/3のESP夏のセミナーに特別講師として、参加することになりました。
それで、この日は生徒さんたちによる事前のインタビュー。「どうやって音楽ライターになったのか」「音楽ライターになるためには?」と、いろんな質問を真剣にぶつけられる。で、最近、わたしは「音楽ライターになるために、必要なことは?」という質問をされると、必ず「文章を書くのが好きなこと」と答えているのね。というのは、「文章を書くのは嫌いで下手なんだけど、ミュージシャンに会えるから音楽ライターになりたい」という人が、結構、いるからなの。このQ&Aコーナーにもそういう質問がくるんだけど、それって主客転倒だと思うんだ。だって、「音楽ライター」という職業名からもわかるように、この仕事のメインは文章を書くことだからね。もちろん、この日の生徒さんたちには、そういうタイプの人はいなかったけどね。
 そのあと、某社で2時間近く会議に出たんだけど、この時、会議室の冷房がものすごく強くて、超寒かったんだよね。途中で室温を上げてもらったりしてたんだけど、ノー・スリーブだったわたしはこれで完璧に夏風邪をひいてしまったみたい。夜、友達と飲んでる時にどんどん喉が痛くなってきて、これはまずいと熱燗に変えたんだけど、結局、あんまり効果はなかったみたい……。


2001年7月8日

 「Pray」の流通会社を発売一週間前に変更したので、この一週間は本当に目が回るくらい忙しかった。でも、ようやく無事に発売できて、しかも売れ行きも好調なのでホッと一安心。J+Jeniusがスタートして約10ヶ月、MやTAKUYAと知り合ってからはもう1年半くらいになるけれど、長かったような短かったような……。でも、岡野氏と会社を始める時に掲げた「インディーズでも、メジャーに負けないクオリティの音楽を」という目標は、しっかりとクリアできてると思う。それは、もちろん、J+Jeniusという才能あるバンドとめぐり合うことができたからだと思うけどね。だってさー、最近、インディーズ・バンドのCDを聞くことが多いんだけど、本当に耳を覆いたくなるほど低レベルの作品があるんだよね。「勢い」と「音痴」を勘違いしてるっていうか、「これを売り物として世の中に出すのは、いかがなものか」って首を傾げてしまいたくなるような。豪華ブックレットなんかに金かけるんだったら、時間かけてちゃんとレコーディングしろと、思わずいいたくなってしまう←って本当にいっちゃうから、「大島さん、コワイ」っていわれちゃうんだーろーなぁ……(笑)。

 J+Jeniusは音作りにはきちんと時間もお金もかけるけれど、その他のことはいたってシンプル。自分たちのことは自分たちでやるというポリシーなので、マネージャーもいないし、専任のローディもいないから、いつも機材は自分たちで運んでるし、うちの会社の仕事もちゃんと手伝ってくれる。それで、「ありがとうね」ってお礼をいうと、「自分たちのバンドのことだから、当然です」と若者らしからぬお言葉(あ、若くないのかな……笑)。実はね、「Pray」が出来上がってきた時、ひとつの箱を開けてメンバー全員に1枚ずつCDを渡したのね。みんな喜んでその場でパッケージを開けたんだけど、入ってた生写真が全員同じのだったの。それで、ハタと気がついたんだよね。サインし終わった写真をまとめて工場に送っちゃったから、きっと写真もそのまま封入されちゃったんだ。つまり、ひとつの箱には一人の写真ばっかり封入されてるCDが詰まっている可能性がすごく大きいということ。「これじゃあ、ファンがガッカリしちゃうよね」と緊急ミーティングをして、結局、全員ですべてのダンボールから一度CDを出してシャッフルして、それでもう一度ダンボール箱に詰め直したんだ。だから、きっと買ってくれた人がお友達と一緒の写真があたる確率はとても低いと思うんだけど、それはメンバーみんなの愛の手作業のおかげなんだよー。

 もうひとつ、印象に残ってる裏話。6月にレコーディングしてた話はちらちら日記にも書いてたけど、その最終日にDMがあがってきて、スタジオの隣の待合室でメンバー全員が宛名のラベル貼りやシートの切手を1枚1枚切り分ける作業をしてたのね(彼らは、そういうことも全然嫌がらずにやる)。そこへやってきた岡野さんが「俺にもやらせろ」っていって、みんなと一緒に切手を切り始めたの。壮観だったよー。いつもは「俺はCDを2000万枚売ったプロデューサーだ」と豪語している岡野氏が、メンバーと一緒にまぁるくなって切手を切っている光景は。ラルクをいつも一緒にやってるエンジニアの新銅さんがその部屋に入ってきて、「岡野さん、何やってんですか?」って目を丸くしてたもんね。

 あんまり裏話をバラしちゃうとメンバーに怒られちゃうかもしれないけど、12年前にこのロックンロール日記を始めた時からコンセプトは「普段、ファンの人は知らないミュージシャンの意外な面を伝える」というものだったわけだから、カッコウの餌食となりつつあるJ+Jeniusには運が悪かったとあきらめてもらおう(笑)。それに、今のこういう気持ちをずっと忘れないでいてほしいとも思うんだ。きっとどんなにつらいことがあっても、暑い日にクーラーもない部屋でいつ終わるかもわからないCDシャッフル作業をやったことを思い出せば、なんだって乗り越えられると思うんだよね〜。

2001年7月7日
 「Pray」発売日。新宿のライカエジソンでインストア・イベントがあるので、メンバー全員うちに集合してしっかり昼ごはんを食べてから(涙)、車で出かける。でも、わたし、この日、西城秀樹さんの結婚披露宴に呼ばれてて、パーティ・ドレスだったんだよね。金色のパーティ・ドレスであのメンバー乗せて車を運転する姿は、渋谷の街をパンかじりながら歩くTAKUYAとYUJIより、さらにワイルドだったかも(笑)。

 夕方、新宿の某ホテルのロビーで披露宴に行くダイヤモンド・ユカイくんと待ち合わせ。だけどさー、ホケッと一人でユカイくんを待ってたら、次から次へとエッチなオジサンたちが声かけてくるの。もぉぉ、いっくら派手な格好してるからって、違うっちゅーのっ!
 さて、秀樹さんの結婚式は、すごかったよー! なにしろ右を向いても左を向いても芸能人ばっか。思わずキョロキョロしちゃった。それで、お料理がまたすっごい豪華なの。前菜がコールド・スープだったんだけど、下にキャビアが敷き詰めてあって、スープの上には金粉がのってるの。なんだか食べるのが、もったいなかった。お魚のお皿の時には、あわびの上に板チョコみたいなのがのってて、同じテーブルの人と「これ、何なんでしょう」なんて話していたのね。みんな食べてからもしばらく首をかしげてたんだけど、それはトリュフだったの。あんなに分厚いトリュフなんて食べたことなかったから、わからなかったんだよね!
 ノリタケとヒロミの「天の川77」っていう漫才とか、コロッケの物真似とか、余興も超豪華。河村隆一も、歌を歌ってたよ。それで、わたしは朝が早かったので二次会には行かずに帰ってきたんだけど、家に着いたらなんかおなかがすいてるんだよね。あんなに豪華なフルコースを食べたのに。でもって、結局、またお茶漬けなんか食べてるわたし。これって、貧乏性ってことなのかな……。
2001年7月2日

 SHOCK WAVE サーキットのプロダクション・ミーティングに出席するため、TAKUYAYUJIと渋谷の某待ち合わせ場所(すごく目立つところ)で待ち合わせをする。そしたら、二人ともパンを買ってきてて、人通りの多い渋谷の街をパクパクかぶりつきながら歩いているのよね。「買った店で食べてから来ようと思ったんだけど、混んでて座れなかった」なんて言い訳してたけど、結構、その姿はワイルドだったよ〜。


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