[ROCK'N ROLL DIARY]

2002年3月30日
 朝から、めちゃくちゃいい天気。
車の屋根をあけて、原宿までドライブだぜ、イエイ!今日は、代々木の野外音楽堂で氣志團のフリーライヴがあるのだ。ものすごい人だったけどステージ脇のスピーカー前に作られていた関係者スペースから、なんとかステージを肉眼で見ることができる。やっぱ、期待どーりライヴは最高に面白い。セロニアスくんのトークもすっごい面白く、ネタが超オタクなのがおかしい。そーとーいろんな事を知ってる人と、見た。
 そのあとは、車を飛ばして横須賀のカフェ・ラ・サイエンスへ(国道127号線じゃないけどね)。Shameくん加入後初のDope HEADzのライヴを見るためだ。彼の実力はRavecraftのCDでわかっていたので、初めてのライヴも心配してはいなかったけど、こちらも想像以上によくて◎。PATAがShameくんの第一印象を「若い」と強調していたけど、ステージの彼はホントに華があってカッコよかった。
一日に二つもよいライヴを見れて、とてもいい一日♪ ビールがうまい。
2002年3月29日
ミーティング・スペース大島(笑)で、新しいプロダクツのミーティングを6時間。
新しいメンバーと新しいお仕事をするためには、いっぱいミーティングを重ねないとね。

2002年3月28日
 I.N.A.ちゃんの取材を、Dope HEADzがリハーサルをしているスタジオで行う。いよいよShameくん初お披露目のライヴが明後日なので、取材に応えるI.N.A.ちゃんのテンションも高い、高い。その取材中にHEATHがスタジオに来たのだが、それがリハーサル開始時間の20分以上も前なの。「もしかしたら、雨が降るかも」なんてI.N.A.ちゃんは笑ってたけど、それだけヒーちゃんも気合が入ってるってことだよね。スタジオからの帰り道、Shameくんとバッタリ。「これからリハーサルなんですよ!」という彼の表情もすごく明るくて、とってもいい感じだった。3人が3人ともすごくいい顔してたので、ついわたしまで気分よくなってしまったわ(^−^)。

2002年3月26日
 朝10時から、AIJIくんの取材!
前の晩に星子さんとちょっとだけ飲んだんだけど、朝早いせいか調子が悪い。「ジョッキ5杯くらいしかビールを飲んでないのに、二日酔いみたいなの」といったら、AIJIくんは大きな瞳を見開いて「えっ、酒豪なんじゃないですか!」と驚いていた(涙)。でも、彼はなんと夜中の2時に起きて、そのままこの取材にきたという。えらーい!
2002年3月25日
 HOT WAVEの収録。
ゲストは、Waive。孝介くんがうちのご近所さんなのは前から知ってたんだけど、「スーパーはどこに行くの?」って聞いたら、「行くとしたら、×××」って例のyasuとの待ち合わせに使ったお店をいってた。(笑)。
2002年3月24日
 午後の新幹線で、東京に戻る。
ユニバーサル・スタジオのお土産にもらったスヌーピーのぬいぐるみ(かなり大きい)を持ってグリーン車に乗ったら、エグセクティブなサラリーマンの方々にかなり冷たい目で見られてしまった。くすん。
2002年3月23日
 T.M.Revolutionのライヴを見るため、大阪へ。
でも、お馬鹿なわたしはフェスティバルホールと大阪城ホールを間違え、大阪の街をタクシーでぐるぐる回ってしまう。開演直前に会場にたどり着き、ホッと胸をなでおろす。
2002年3月21日
 AKIRAくんの取材。
そーとーカッコいい。スタッフの女性陣、全員が大感激。ポラの奪い合いとなる。
2002年3月20日
 Shame→PATA→Gacktと、取材三本立て。
Gacktくんは某ホテルでのインタビューだったんだけど、駐車場からロビー行く途中の廊下で友達とバッタリ。「『知ってるつもり』の番組終了パーティのスタッフをやってるから、取材が終わったらごはんを食べにおいでよ」 と誘ってくれたので、某誌編集O嬢と共にパーティにもぐりこむ。さすが一流ホテルのパーティ、食事はとてもおいしく、O嬢は「ここ10日間でいちばんいい夕食だった」と喜んでいた。その後、ヤチュリンにむかーしむかし、shujiくんが入った直後のJanne Da Arcのライヴ・ビデオを見せてもらう。みんな初々しい(笑)。
2002年3月18日
 Psycho le Cemuの取材。
まーるいテーブルのある会議室での取材だったので、どーせならと宇宙海賊チームと銀河警察チームを分けて、その真ん中に座って取材する。でも、インタビューをしているうちにどんどんDAISHIくんが涙声に……。花粉症なのに薬を飲んでくるのを忘れたそうで、かなり辛そうだった。
 取材が終わったあとは、大急ぎでJO:YAくんのライヴへ。終わったあと、久しぶりに挨拶がしたかったんだけど、CD手売りにすごーい行列が出来ていたので、諦めてさっさと帰る。
2002年3月17日
 Dope HEADzの撮影と取材。
スタジオに行くと、すぐI.N.A.ちゃんに「大島さんのガセネタのおかげで、うちのHPは大変なのよ〜」と苦情をいわれる。2月27の取材の時、「I.N.A.ちゃんがShameくんに風邪を移した」 と書いたのだけど、どうやら真相はその逆だったらしい。お騒がせして、ごめんなさいでした。
2002年3月16日
 ZIGZOのラスト・ライヴを見に行く。
3時間以上のとてもいさぎのよいライヴ。本当にいいロックバンドがまた一つ減ってしまうと、とても悲しくなる。結成直後、まだ事務所が決まる前は、いろいろ話もしてたからね……。SAKURAが自宅でダビングしてくれた世の中に2本しかないデモ・テープ(と、六本木の飲み屋で彼はいってた)は、一生のタカラモノにします。

2002年3月13日
 最近、本当に二日酔いが重くてよろしくない。なにしろ、翌日の夕方までは使い物にならないのだから(涙)。時間がもったいないと思うのだが、適量でやめられないところが情けない。
2002年3月11日
 TAKASHIくんのバンドHUSHを見に行く。店に入った途端、YOKOちゃんとYASUを発見。AKIRAくんもいるし、他にも知り合いがゾロゾロいて、「さすがTAKAちゃん」と感嘆する。ライヴは短かったけど、男っぽくて勢いがあってカッコよかった。TAKAちゃんがすごくいい顔して、ドラムをたたいていたのが印象的。本人は「今日はイマイチ」なんていってたけど、いい感じだったよ(^−^)。ヴォーカルの章人くんとは一緒に飲んだことあるし、ベースのタカセは結構前からの知り合いだし(メンバーをTAKAちゃんから聞いて、ビックリした)、応援しなくっちゃ!
2002年3月10日
 妹のお見舞いに行き、子供を抱っこさせてもらう。妹も子供もとても元気で、あと3日くらいで退院できるらしい。ミルクを飲ませながら「こうやって口の中にまで哺乳瓶を深く入れて……」とやり方を細かく説明する妹に、「なんでそんなこと教えるのよ」というと、「ふふふ」と意味深な笑いをされた。6月にはもう次の公演予定があるそうで、妹も産後だからといってのんびりはしていられないらしい。
2002年3月9日
  最近のマイブーム=氣志團。
2002年3月8日
 ジュラシックのYUKIくんのインタビュー。赤いフェイクレザーのスーツを着ていたら、「なんか今日は地味ですね。大島さんって、いつもヒョウ柄を着ているイメージがある」といわれる。それを聞いたPのマネージャーY嬢に「これ着てて地味っていわれるオーシマさんは、やっぱりすごい」と、変な誉められ方をする。

2002年3月4日
 すっかりミーティング・スペースと化しているわたしの家だが(yasuには、みんなの溜まり場といわれた)、この日も夜の10時から新しい仕事の打ち合わせ。最近、みんなで話していると必ずウランが近くに座っていて、まるで自分も話に参加しているようなフリをしている。お客さんは、みんなウランを「可愛い、可愛い」と誉めてくれるので、気分がいいらしい。お気楽なやつぢゃ。
2002年3月2日
 プロデューサーの岡野ハジメさんと打ち合わせをしていたら、yasuから電話。
「岡野さんに会いたいな」というので、「遊びにくれば」といったら、すぐにやってきた。yasuが来て30分もしないうちに、今度はSHUSEから電話。「今、うちに岡野さんとyasuがいるよ」といったら、彼もやってきてみんなで延々朝までロック談義。気がついたら、朝の6時だった←ちなみに、最初は真面目な仕事の打ち合わせだったので、わたしは朝まで一滴もお酒を飲まなかった。自分でも、ビックリ。
2002年3月1日
 Gacktくんの撮影取材。
この日はたくさん雑誌がくるというので、前日、「取材時間は10分です」と、編集O嬢から電話がかかってくる。ひぇ〜。昨年、30分でビックリしていたら、今度は10分! しかも、当日、現場に行ったら、「急遽、合同取材になりました」というお達しが(涙)。椅子に座ったGacktくんを、取材陣が囲んでのインタビューという形だった。レコーディング中で寝不足といってたGacktくんだけど、とても元気そうだったよ!

ロックンロール日記目次へ 大島暁美サイトトップへ