[ROCK'N ROLL DIARY]

2003年5月31日
Vogus ImageとPlasticのツー・マンを見に行く。
2003年5月30日
Jの取材。そののち、Fatimaのライヴを見に行く。
2003年5月29日
 91歳の祖母と二人きりになってしまう母を、わたしと妹のうちの近所に引越しさせようと、近くの物件を見に行く。その途中、蕎麦屋で一人お昼ごはんを食べていたDAISHIくんをガラス越しに発見。わたしを見て挨拶したDAISHIくんを見て、母はひとこと「まぁ、女の子みたいに可愛い子ねぇ!」。
2003年5月28日
HOT WAVE収録。ゲストは、ka-yuくんとぐりむ。夜は、HOT WAVEでずっとコーナーを持っている紫苑のライヴへ。
2003年5月27日
 渋谷公会堂にて、STYLISH WAVEの司会。
2003年5月26日
 渋谷公会堂にて、STYLISH WAVEの司会。終わってからミカリンと近所の焼き鳥屋で遅い夕食を食べていたら、隣の席にジュン・スカのベースさんがいたらしい。
2003年5月25日
 La'cryma ChristiのLEVIN取材
2003年5月24日
 SUGIZOと真矢のトークショー、東京。二回公演、ジャニーズみたいだ。
2003年5月23日
 Fatimaの取材。
2003年5月21日
 SUGIZOと真矢のトークショー、大阪。
2003年5月20日
 SUGIZOと真矢のトークショーで、金沢へ。事情を知ってる二人のさりげない心遣いが嬉しい。
2003年5月12日
 父が他界しました。
真面目で頑固者で、でも、とても家族思いの優しい父でした。昨年後半から身体の不調を訴え、今年の正月明けに「膵臓癌で手遅れ」と告知されました。「治療しなければ半年、治療を受ければ1年もしくはそれ以上」といわれ、父はつらい抗癌剤と放射線の治療に耐えました。ですが、治療が終わって病院退院後、小康状態になるだろうという本人と家族の予想とは裏腹に、どんどん病状が悪化していき、結局、告知を受けてからわずか4ヶ月で帰らぬ人となってしまいました。
父の病気がわかってから「ブラック・ジャックはいないのか」と思って、10人以上のお医者さんに会いました。治療法も科学的なものから民間療法まで、いろいろ調べてみました。わたし自身は、「新しく生まれる細胞を破壊する」という人間の根本的な生命力を奪う化学療法には疑問を感じていたので、毎日病院に通って「癌を殺すのではなく、封じ込める」丸山ワクチンを父に注射したりもしていました。でも、結果的に父を救うことも、残された時間を延ばすことも、できませんでした。今はただただ深い悲しみで、いっぱいです……。

2003年5月6日
 SUGIZOくんと真矢くんのトーク・イベントのMCとして、全国8ヶ所を回ることになり、その一日目。初日は、仙台である。でも、わたしったら、SUGIZOのトークのあと、真矢くんを呼び込んで、二人一緒にトークをする段取りをすっかり忘れ、一気にSUGIZOの新曲の試聴にいってしまおうとしたの。そこをすかさずフォローして、真矢くんを呼び込んでくれたSUGIちゃん、エライ。今日はSUGIちゃんに頭が上がりません、ペコペコ。あと、「Q&A」を「Q&K」といってしまい、思い切りSUGIZOに突っ込まれたのだが、「Kは答えのKよ」といってなんとか切り抜けた……と思っていたら、裏でそれをしっかり聞いてた真矢くんにそのあと何回もネタにされてしまった(笑)。でも、この仲良しコンビと全国を回るのはたのしそー。おいしいもの(お酒も)食べすぎないようにしなくちゃ。
2003年5月4日
 最近、あまり深酒をしていなかったので、半年振りくらいの超二日酔い。夕方までほとんど使い物にならなくて、一日を無駄にしてしまった。やる予定のことがたくさんあったのに……。反省。
2003年5月3日
 Psycho le Cemu2連チャン。終演後、打ち上げに行ったのだが、久しぶりにワインをたくさん飲んでしまい、撃沈。
2003年5月2日
 Psycho le Cemuのライヴ。この日は石井竜也さんとSUGIZOが見にきていて、メンバーは超緊張していたらしい。終演後、メンバーと石井さんにテレビのワイドショー等マスコミ数社が囲み取材。石井さんに「『伝説、作ろうぜ』というMCにしびれた」と誉められ(?)、DAISHIくんは喜んでいたよ。

ロックンロール日記目次へ 大島暁美サイトトップへ