[ROCK'N ROLL DIARY]

2004年10月14日〜モロッコ旅行
 3週間ほどお休みをとって、モロッコ旅行。昔はしょっちゅう気ままに長期間旅行してたけど、ここのところ少しお休みしてたので、気まま旅行は久しぶりだ。
 ことの発端は、おととし、テレビで「フェズの迷宮都市」と、「大道芸人と屋台が集まるエネルギッシュなマラケシュのフナ広場」を見たのが、きっかけ。それから「行きたい」という気持ちがどんどん大きくなり、昨年、マイレージでヨーロッパ往復のチケットが手に入ることになったので、モロッコ行きのチケットを入手した。でも、今年前半はなかなかまとまった休みがとれず、ひそかに画策して、10月中旬からようやく休みがとれて、旅行が実現したのだ!

 旅仲間のカメラマン三浦麻旅子嬢から「サハラの砂漠もいいらしい」と聞き、旅程にはサハラ砂漠も入り、アトラス山脈を越えてモロッコを縦断することに。アフリカ大陸は初めてだし、本格的なイスラム圏も初めて(マレーシアとトルコは行ったことあるけど、戒律的にはかなり柔軟な国なので)。で、やっぱりモロッコはすごい国だった。エキセントリックな自然、砂漠の雄大さ、習慣と文化の大きな違い……。いろんなことがあって、いろんなことを考えた旅だったけど、ビックリしたのはラマダン(イスラム教の断食月)。旅行中ずーっとラマダンだということは知ってたけど、ガイドブックやインターネットには「旅行者には関係ない」って書いてあったんだ。ところが、とんでもない! 飲食店はほんの一部の旅行者向けのところ以外昼間はまったくやってないし、店も午後3時には閉まってしまうの。夕方のお祈りの時間には家に帰って、そのあとの朝食を家族揃ってとるのが大切とされていて、夕方には街から人が消え、公共バスまで止まってしまうのだ。特に最初に敬虔な信者の多い古都のメクネスとフェズに行ってしまったので、夕方街から人の姿がいきなり消えてしまったときには、マジに第三次世界大戦でも勃発したのかと焦ったよ。

 他にもカルチャー・ショックなことは多かったけど、マラケシュのインターネット・カフェで、チャコール・フィルターのヴォーカルの大塚くんから、ふつーの読者メールに混じって「−18−」の感想が届いているのを見つけたときは、ビックリ&超嬉しかった。ちょうど旅も二週間をすぎ、日本のことを忘れつつある頃だったので、なんか励みになったよ! 

2004年10月3日
 HOT WAVEの収録。今回のゲストは、京本政樹だ! ふふふ、ウルトラマンオタクをカミングアウトしてから、わたし、かなり京本さんのファンなんだよね。それを公言してたもんだから、局入りしたときからスタッフ出演者に冷やかされまくる。で、京本さんと挨拶して本番一発目にお決まりの(?)大NG! そのあとも緊張して、なんか一人で舞い上がってた(笑)。他にもわたしのせいじゃないNGで収録が中断するハプニングがあったんだけど、さすが京本政樹、まったく動じず、必殺仕事人そのままの表情でクールに対処していたよ。
2004年10月9日
 大型の台風が東京を直撃した日、ka〜yuくんyasuの対談を某所で行う。取材が終わってから、わたしがもうすぐモロッコに旅行に行くといったら、何を勘違いしたのか、ka〜yuくんに「イランには行かないんですか?」「今度コロンビアに行ったらどうですか? 昼間っから道の真ん中で殺人とかあるらしいですよ」といわれる。違ぁぁ〜う! わたしは戦争地帯に興味があるわけではなく、お気楽にサハラ砂漠でラクダに揺られたいのよぉ。だけど、いくら説明しても、ka〜yuくんは最後まで「でも、なんで、モロッコなんですか?」と首をかしげていた。たしかに、モロッコに旅行に行く人はあまり多くはないと思うけど、そこまで不思議がらなくても……。
2004年10月8日
 高見沢俊彦さんのビジュアル・ギター対談で、久しぶりに清春くんに会う。ちょうど今年、DEAD ENDが20周年なので、取材前にその話をチラッとしたら、「大島さんがライナーノーツに、『早すぎたバンドだった』って書いてて、僕もまったく同感だと思ったんですよ!」とわたしがすっかり忘れてたことを、しっかり覚えててくれた(笑)。「DEAD ENDのファンだっていうミュージシャンは多いと思うけど、僕はホントに半端じゃないです」という清春くん、さすがにこだわりの人だけにその知識と記憶の豊富さはすごかった。脱帽。
2004年10月7日
 Janne Da Arcの取材。
 取材が終わって帰宅したら、yasuから「メシ、食いにいこ〜」という電話。そのとき、「もっと俺のことを誉めよ〜や」と、直訴された。「大島さんは他のミュージシャンのことは誉めるのに、俺のことはまったく誉めてくれない」と、いうのだ。うーん、そういわれてみれば、たしかにそうかも。なんか仲良くなっちゃうと誉めたりするのがテレくさくて、どーしてもいじめたりけなしたりしたくなっちゃうのだ。むかーし、hideちゃんにもまったく同じようなこといわれたのを思い出して、反省。でも、焼肉屋でお茶をすすりながら、「たまには、俺のことも誉めて〜や」というヤチュリンは、武道館でのりりしい姿とはまた違って、ちょっと可愛かったよ。
 その後、焼肉に参加できなかったSHUSEのうちに、KISSのDVDを借りに行って、83年頃のモトリーのビデオを見せてもらう。画質や音は悪かったけど、初期のモトリーはちょーカッコよかった。「グランドメタルのビデオもあるよ」といわれ、ちょうど80年代の日本のロック本を作ったばかり(日本ヘヴィメタル大全/音楽専科社刊)だったので、ものすごく見たかったのだが、翌日早かったので次回にする。それにしても、SHUSEのパソコンにはお宝ビデオがいっぱいコレクションしてあって、楽しそうだったよ!!

2004年10月4日
 千聖くんの撮影&取材。ちょうどお誕生日だった千聖くん、前日とこの日、浦安のプラネット・ハリウッドでバースデー・イベントをやってて、お誕生日24HOURSの真っ只中だった。彼は、インタビュー中、何度も「特技は物真似」「俺くらい物真似がうまくなると……」という発言をしていて、正直いってわたしは反応に困ってしまった。
だって、何回か見たことある彼の物真似、別に意味で笑えるんだけど、決して……あ、誕生日だから、これ以上突っ込むのはやめておこー(笑)。そーいえば、ちょうど取材が始まって座が盛り上がってきた頃、わたしの携帯から「DENWA DERO!」のハードコア風(?)の音が。実は、この着信音は千聖くんが作った着ギターをダウンロードしたものなの。O−JIROくんに手伝ってもらったというこの着ギター、ハッキリいって傑作! かなり笑えるよ。http://www.walkerplus.com/mob/guitar/で試聴できるから、是非、一度聞いてみるべし。10月中旬には、千聖くんのインタビュー動画もアップされる予定だから、そっちも見てね。
2004年10月2日
 近所をチャリで走っていたら、横から原付に思い切りぶつけられた。わたしはふつーにまっすぐ走ってたのに、脇道から減速しないで急に右折してきたの。ちょっと飛ばされるような感じになったんだけど、わたしは飛び降りたっていうか、ちゃんと立って着地したのね(運動神経いいのかしら)。でも、あまりにもビックリして動揺したので、相手の「大丈夫ですか?」の問いかけにも「はぁ……」としか答えられなかった。チャリも壊れてないみたいなので相手はそのまま去っていったんだけど、30秒くらいして正気に戻ってからフツフツと「危ないじゃないか!」と怒りがわいてきた。でも、もうあとの祭りで、現付はもうずーっと遠くのほうに走り去ってた。怪我しなかったからいいけど、なんか最近ツイてないかも。
2004年10月1日
 NEVERLANDの取材。誠くんと日寿くんのインタビューをするのは初めてだったけど、普段話している感じとは少し違ってて、面白かったよ。彼らはときどき、ネットラリーというインターネット上のゲームをやってるので、取材中その話になって「次はいつなの?」と聞いたら、「この雑誌が出る頃にはもう終わってて、その次は未定です」というので、「読んでくれた読者が参加できなくちゃつまんないじゃない」と文句をいったら、その場で次の日程を決めてくれた。次は、11月3日だよ! わたしも無理矢理(?)決めさせたからには、宣伝しなくちゃ。賞品もあるので(笑)、
とりあえず http://www.neverland.or.tv/へ、GO!

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