明け方、変な気配を感じて目を覚ますと、ウランが目の前でベッドの上にオシッコをしていた。ウランは腎臓が悪いので、水みたいなオシッコを一日に10回以上もする。慌てて飛び起きたら、よろよろとベッドから逃げていってしまった。チェックしたら、オシッコの跡はもう一ヶ所。わたしはブツブツいいながら、朝の6時から洗濯をした。
でも、リビングのトイレを見たら、前夜寝る前にお掃除をしたのに、そこにも二ヶ所オシッコの跡があった。すっかり体力がなくなって、歩くのもやっとなウランが、トイレをするためにリビングまでやってきたのだと思うと、思わずジーンとしてしまう。
朝早かったのでマットの上に横になっていたら、ウランがそばにやって来た。ギュウと抱きしめてあげたら、またゴロゴロと喉を鳴らして、いつものようにわたしの腕の上に二つの小さな手を置く。この一時間程度の仮眠が、ウランと一緒に寝た最後の時間になってしまった。
午前10時に、ウランを動物病院に連れて行く。血液検査をしたら腎臓の数値はさらに悪くなっていて、もう点滴治療をしても効果は望めないので、別の治療法に切り替えるという。背中に点滴のお薬を注射するのだが、痛いのかウランはしきりに怒っていた。
それから、貧血の治療のために輸血を受けることになったので、わたしは一旦家に帰る。今日は14時から河村隆一のコンサート取材の予定で、その前にちょっと寄り道をしようと12時前に家を出たら、病院から電話がかかって来た。「ウランちゃんの容態が急変したので、すぐに来てください」といわれ、大通りまで坂道をダッシュしてタクシーに飛び乗る。
病院に着くと、ウランは檻の中に横たわっていた。「ウラン!ウラン!」と呼びかけると、耳を少し動かし、こちらを見ようとする。でも、もうほとんど動けない。「抱かせてください」とお願いして檻から出してもらい、ウランを抱きしめ、耳元で何度も名前を呼んでみるが、ウランはもう反応しなかった。口から2、3滴の血を流していたので、「ウランは生きてるんですか?死んでるんですか?」と尋ねたら、瞳孔を見たお医者さんは申し訳なさそうに「死んでます」と答えた。ウランは生きているようだったけれど、しばらくしてからカクッと頭をうしろに倒した。まだ首がすわってない赤ちゃんのようだった。わたしはウランを抱きしめたまま、号泣した。
お医者さんが「ウランちゃんを箱に入れて、帰りますか?」と聞くので、「抱いて帰りたいです」と答える。「点滴の管を抜いたり、詰め物をしたりするので、少しお待ちください」といわれたので、その間に編集者に電話して、「今日の取材をキャンセルさせてください」とお願いする。ライヴの数時間前にそんなことをいうなんて非常識だとは思ったけれど、こんな状態で仕事をするのは無理だと思った。編集者さんは事情を理解してくれて、「こちらはなんとかしますので、猫ちゃんのそばにいてあげてください」とあたたかい言葉をかけてくれる。この時は本当に嬉しくて、携帯電話を持ちながら「ありがとうございます」とお辞儀をしてしまった。
タオルに包まれたウランを抱いて、タクシーで帰宅。母が入り口で待っててくれて、「ウランを抱かせて」という。出張や旅行でわたしがいない時は、いつも部屋に来てウランの世話をしてくれていた母だが、一度も抱いたことはなかった。ウランは、わたしと亡くなった父以外、誰にも抱っこをさせてくれなかったのだ。「ウランちゃん、初めて抱かせてくれたね」といって、母も泣いている。
ウランのことを心配してくれてた友人が何人かいたので、お通夜をすることにする。妹やご近所猫友達等、ウランのことをよく知ってて、気軽に来られる人にメールを出す。遺影に使う写真を何枚かプリントアウトして、お寿司を注文。急なことだったにも関わらず、メールを出した人は全員ウランに会いに来てくれた。
朝の4時までいてくれたyasuとSHUSEが帰った後、ウランを抱いてベッドに入る。ウランは昨日と同じ格好をしているのに、もうぬくもりはないし、あの最高に心地よい喉のゴロゴロも聞こえない。でも、不思議と硬くもなかったし、冷たくもなかった。ビロードのように肌触りの良い毛を撫でていると、涙がとめどなくあふれてくる。おかげでウランは、びしょ濡れになってしまった。やっとゆっくり眠れるはずだったのに。ごめんね、ウラン。