ロックンロール日記
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PARADISE IN PHIPHI
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 初めてプーケットとピピを訪れたのは、昭和から平成に変わる年の冬だった。そのとき、わたしは女友達と二人で、タイ→マレーシア→インドネシア(ジャワ〜バリ)→タイを周る気ままな行き当たりばったりの旅に出ていた。バンコクやマレーシアでは現地で知り合った人の家に居候したり、タイの山岳民族の家に泊まって滝で顔を洗ったり、かなりワイルドな旅。約1ヵ月半かけて最初に予定していた場所をすべて回り、わたしたちは旅の出発点のバンコクに戻った。あとは、東京に帰るのみ。でも、なんだかまだ物足りない。最後にもう一度海に行きたいと思い、帰りの飛行機チケットを捨てて、わたしたちはプーケットに旅立った。前年にサムイ島に行ったことはあったけど、プーケットに行くのは初めてだった。

 泊まったのは、パトンビーチのはずれのホテル。小さいながらプールもあって、居心地のよいホテルだった。そのとき、ホテルで知り合ったオーストラリアの二人組に誘われて、わたしはピピ島日帰りツアーに参加することにした。友達は船に酔うからと行かなかったのだが、このときに訪れたピピ島の素晴らしさにすっかり魅せられてしまった。その数日後、仕事があるので帰国しなければならない友達と別れて、わたしは一人でピピ島に渡った
  それからピピ島で過ごした2週間は、本当に夢のような日々だった。その頃のピピ島は、メインの船着場にホテルが一軒あるだけで、あとは小さなバンガローが点在するとても素朴な島だった。そこで、偶然、世界中から集まった10人くらいの若者グループに入り、毎日、彼らと一緒に過ごすようになった。一緒に旅をしていた友達は、アメリカに1年いたことがあって英語はペラペラ。だから、彼女と一緒の時は英語が得意じゃないわたしはあまり話をしなかったのだが、一人になってしまったのだから自分で話さないと何もことがすすまない。だけど、10人の仲間たちは国籍もバラバラで、一人を除いて英語がネイティヴではなかったので、とても気が楽だった。みんな発音も文法もメチャクチャだったけど、全然物怖じせずにしゃべってる。とにかく自分の意志が相手に伝わればいいというその姿勢は、英語が嫌いだったわたしにとっては目からウロコだった。気がついたらわたしもみんなと一緒に、メチャクチャな英語で一日中おしゃべりをするようになっていた。

 わたしが泊まっていたのは、一泊350円の鳥小屋みたいなバンガロー。部屋に入ったら蚊帳のつってあるベッドしかない。でも、トイレと水シャワーがついているだけ、高級なほうだった。そんな宿に泊まっていれば、自然と寝る時間以外は外で過ごすようになる。別にすることもないから、ビーチやレストランでボーっとしたり本を読んだり絵や手紙を書いたり。みんな暇をもてあましているから、ちょっとしたきっかけですぐに話が始まる。安宿に泊まっていると自然に友達がいっぱいできるのは、そういう仕組みだからなのだ。
 昼間はゆったり過ごして、夜はみんなで食事をして、そのあとビーチで酒を飲みながら語り合う。それは本当に夢のような、現実世界とはまったく別の時間だった。焚き火を囲むこともあったけど、満月のときは灯りなんて必要なかった。月明かりだけで、砂浜に影ができるほど明るいからだ。あまりにも気持ちがよくて、満天の星空の下、ビーチでそのまま寝てしまったこともあった。明け方、目が覚めるたら、焚き火を囲んでみんなが丸く輪のように寝ていて、なんだかとてもおかしかった。
大島暁美のロックンロール日記