ロックンロール日記
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PARADISE IN PHIPHI
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 船をチャーターしてフィッシングに行ったり、近くの無人島バンブー・アイランドにピクニックに行ったりもした。釣った魚をすぐにさばいて食べたり、蛇を捕まえてベルトにするんだって皮をはいでたツワモノもいた。多分、そのとき、ピピにはほとんど日本人がいなかったんじゃないかと思う。一週間くらいたったとき、誰かが「今日、日本人がひとり来たよ!」と教えてくれた。次の日には「××ビーチに泊まっているらしい」「暁美も日本語が恋しいだろうから、みんなで会いに行こう!」ということになって、5〜6人でそのビーチまで出かけた。いきなり外人の集団と日本人が訪ねてきて、その人はかなりビックリしたと思う。でも、久しぶりの日本語はなんだかとても懐かしくて、一気に2時間くらい話しこんでしまった。
 結局、わたしはお金がなくなるまでピピとパトンで過ごし、女友達より一ヶ月遅れで帰国した。でも、ピピでの素晴らしい日々が忘れられなくて、ずーっと「ピピ島はこの世のパラダイス」といい続けていた。もちろん、ピピにもプーケットにも、その後、何回も足を運んだ。どちらもすごい勢いで発展していて、行く度に店やホテルが増殖していくさまには目を見張った。特にピピは、椰子林だったところがすっかり繁華街になり、わたしが泊まってた鳥小屋バンガローが点在するビーチが高級ホテルになっていたり、驚くことが多かった。ピピの素朴さが好きだったので、ちょっと寂しい想いもあったけれど、島と海の美しい自然は変わりなかった。

ピピに行こう!
 最後に訪れたのは、3年前のお正月。昔の思い出が忘れられなくて、メインから少し離れた海辺の小さなバンガローに滞在した。まさにオン・ザ・ビーチといえるようなバンガローで、目の前はすぐに海。シンプルな掘っ立て小屋だったけど、寝るときのBGMは波の音という最高のロケーションで、ゆったりと幸せな時間を過ごすことができた。 津波のニュースが入った後、そのときに一緒に行った友達から「あのバンガローは、流されちゃっただろうね」というメールが入って、とても悲しい気持ちになった。波打ち際から20メールくらいの椰子林の中に建つバンガローだったから、今回の災害で無事に残っているとは考えにくい。感じのよかったホテルのお姉さんや、わたしたちをナンパしようと頑張ってたレストランの従業員や、とっても上手だったマッサージさんはどうしているんだろう。災害のニュースを聞いて、今回ほどいてもたってもいられなくなったのは初めてだ。じっとしていることができず、天気の日も大雪の日も、連日、郵便局に通った。本当はこんなことじゃなくて、もっと自分の手で何かしたかった。あんなにも幸せな時間をくれたピピやプーケットの人たちのために、食べ物を詰めたリュックを背負って、現地に飛んで行きたかった。被害が大きくなっていくニュースを悶々と聞いていたある日、何度も食事をしたことがあるピピのホテルのオーナーが、インタビューで「とにかく一日も早く観光客に戻ってきてもらいたい。それが、わたしたちのいちばんの願いなんです」と答えていた。そうか、それだったら、わたしにもできる! ピピに行こう! ピピに行ったらいろんなお店でたくさん食事をして、お土産を山ほど買うんだ。もちろん、値切ったりしないで、わたしにできる限りの散財をしよう。一日も早く、ピピの観光が再開される日がくることを待ち焦がれている。
大島暁美のロックンロール日記