ロックンロール日記
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ドクター・ハラスメント
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 最近、ドクター・ハラスメントという言葉をよく聞くけれど、本当に医者のひとことというのは患者やその家族に、ものすごく大きな影響を与えるものだと思う。5月に他界した父が病気になってから、わたしはかなり多くの医者と話をした。父が手遅れで助からないといわれたからで、最初は何とか助ける方法はないかと思って、後半は少しでも元気な状態で長く生きていてもらいたいと思って、10人以上の医者に話を聞いた。だが、その中で誠意があると感じたのは、たったの2人だけ。あとの医者は面倒くさがっていたり、外科手術ができない手遅れの患者には興味ないのがミエミエだったり……。患者の家族という立場で、とてもつらい想いを何度もした。

 特にひどかったのは、父が最初に入院した某大学病院。ここはこの数年間に不祥事をいくつも起こし、現在、信頼回復に躍起になっている病院だ。年末に違う病院ですい臓に影が見つかり、正月早々父はまず検査入院という形でここに入院した。本人や家族にとってこの正月は非常に不安な毎日で、母は年末から体調を崩して正月中ずっと寝込んでしまったほどだった。わたしが涙が出るほどひどいと感じたのは、その検査報告を聞くために、家族が病院に集まった日のことだ。
 その日、母とわたし、妹とそのダンナが、不安な気持ちで父の病室に集まった。「家族が集まったら、ナース・ステーションにいいに来てほしい」といわれていたので、わたしがナース・ステーションにその旨を告げに行った。そしたら、いきなり看護婦が軽い調子で、「あ〜、お父さんは癌だってこと、知ってるんでしたっけ?」といったのだ。ずっと予感はあったけれど、間違いであってほしいと願い続けている家族に向かって、こんなに残酷な告知があるだろうか? わたしは父が癌だということを、看護婦から病院の通路の立ち話で聞かされたのだ! 「父はもちろん、家族も知りません。わたしも、今、初めて聞きました」と答え、あまりのショックに立っているのがやっとのわたしに、「じゃ、まず先にご家族のみなさんだけで、医師からの話を聞いてください」と彼女は当然のようにさらりといった。「待ってください。今日、検査結果を聞くことは父も知っているんですから、病室から家族だけがいなくなったら父が心配します」といったら、「じゃあ、入院費のことでと声をかけますから、そしたらご家族の方は病室から出てきてください」といわれた。わたしは「いったいどうしたらいいんだろう?」と頭の中でぐるぐる考えながら父の病室に戻ったが、わたしが戻ると同時くらいに看護婦が「入院費のことで」と声をかけに来た。何も知らない母が「暁美、行ってきて」というのでわたしは立ち上がり、病室のドアのところから母を手招きで呼び出した。父のベッドの近くにいた妹には、合図をすることができなかった。母に看護婦からいわれたことを手身近に話したが、母は「癌だ」と聞いた瞬間に泣き出してしまうほどショックを受けていた。

 それから、看護婦に案内されて違うフロアの小さな応接室へ行った。すぐに主治医の医者と女性の助手が部屋に入ってきて、父の病状を説明し始めた。医者は話している間中薄笑いを浮かべていて(本人は家族をリラックスさせるために微笑んでいるつもりだったのかもしれないが)、その不自然な笑いはわたしにとってとても不愉快なものだった。とにかくこのときはわたしも母もひたすら混乱していて、医者のいうことをただ聞いているだけだったが、医者は父が高齢であることと癌が大きくなりすぎているという理由から、「治療法は抗癌剤しかない」と断言し、値段は一本何万円とかお金の話ばかりしていた。そして、最後に「本人への告知はどうするつもりですか?」と聞かれた。動揺している母が「まだ本人にいうのは……」と拒否する姿勢を見せると、医者はあからさまに不愉快そうな表情をして、「抗癌剤の治療はとてもつらいものですから、本人が自分の病気を自覚していないと最後まで続かない可能性が大きいんです」と、何度も告知をするように強い調子で母を促した。わたしが「わたしたちも今聞いたばかりで、とても動揺しているんです。わたしたちが落ち着いた時点でもう一度話し合いますから、今日のところは病名の告知は待っていただけませんか」といったら、彼は不服そうな顔をしながらもしかたなくうなずいた。
 応接室での説明には、30分くらい時間がかかった。エレベーターで父の病室があるフロアに戻ると、廊下に暗い表情をした妹が立っていた。「ママと暁美はどこに行ったのか」と父は何度も尋ね、妹はわたしたちを探し周り、父もあちこち探していたのだそうだ。「パパ、今まで見たこともないくらい怖い顔してる」と妹にいわれて、わたしは病室に戻るのが憂鬱だった。果たして、病室のベッドに横になっている父は、妹の言葉どおり、固い表情でじっと天井を見つめていた。病気のことで神経過敏になっている父にとって、この30分はどれほど長くてつらい時間だっただろうか。

入院費って、意外と高いんだね〜」とか、母としらじらしい嘘をつきながら話をしていると、看護婦が再びわたしたちを呼びに来た。今度は家族5人全員そろって、再びさっきの応接室に入った。 すると、テーブルの上に一枚の紙が置いてある。すぐさま父が手にとって紙を見てしまった。その紙には、さきほど主治医がわたしと母に父の癌の場所を説明するためにボールペンで描いた内臓の絵が描かれていた。
 こわばった表情でその紙を見ている父を見て、わたしは瞬時に「父は、空白の30分に母とわたしがこの部屋に来て、医師の説明を聞いたことを知ってしまった」と直感した。内緒で患者の家族に病状を説明した後、そのときに描いた絵をそのままテーブルの上に放り出しておくなんて、あまりにも患者に対して無神経すぎる。わたしは、悔しさで身体が震えた。
大島暁美のロックンロール日記