そのあとの医師の説明は、さらにひどかった。彼は、先ほどと同じく裏笑いを浮かべたまま病状を説明し、一応、病名は伏せてくれた。父が「わたしは癌なんですか?」と尋ねた時は、「癌かどうかは、手術でおなかを開けてみないとわからないこともあるんですよ」とあやふやながらも否定してくれた。だが、そのあと、父が「その薬には副作用があるんですか?」と尋ねると、「一般的に抗がん剤を使うと、毛が抜けるとかいわれてますが……」と、平気でいってしまったのだ。このひとことで、父は自分が癌であること、しかも病状がかなり深刻な状態であることを、知ってしまった。告知はしないといいながら、こんなことをいったら、誰だって自分は癌だとわかってしまう。医師として早く告知したい気持ちはわからなくはないが、患者とその家族にとってこんなにひどい宣告はないと思う。 |
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この一連のできごとで、わたしはこのまま父をこの病院で治療させたくないと思ったのだが、母は「でも、あの先生は名医なのよ」と聞く耳を持ってくれなかった。「誰が名医だといったの?」と尋ねたら、ヒステリックに「誰かがいったのよ! それに、他の病院のあてもないし、パパにもう一度あのつらい検査を受けさせるなんてかわいそうだ」というのだ。このときの母は、あまりにもショックが大きく過ぎて、とにかく医者を名医だと信じることしかできなかったのだと思う。わたしは、それ以上強硬に自分の意見をいうことをあきらめた。 |
その晩、わたしは徹夜ですい臓癌についてとその治療法をインターネットで調べた。妹も、同じことをしていた。翌日の朝、妹から電話がかかってきた。「手術と抗がん剤による治療以外に免疫療法という治療法が、今、注目されていて、××病院(父の入院している病院)は日本でもっともその研究が進んでいる」というのだ。妹は、昨日、医師からきちんとした説明を聞けなかったし、免疫療法のことも聞きたいので、今日もう一度病院に行ってくるといった。幸い、病院に電話をしたら昨日同席した助手が電話に出てくれて、「今日だったら、先生も時間がとれる」とアポイントをとってくれたらしい。妹が医師と約束した時間から約1時間後に、父の病室にいたわたしの携帯が鳴った。出たら、妹が涙声で「今、ロビーにいるから、来て」という。急いでロビーに下りると、妹は泣きながら「あの先生は人間じゃない、鬼だ」といって、ことの顛末を話し始めた。 |
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妹は時間よりも前に病院に来て、医者が来るのを待っていた。だが、医者は約束の時間に50分も遅れてやってきて、のっけから非常に不機嫌な表情で、「いったい、何なんだ、きみは。わたしは忙しいのに、もう一度説明して欲しいなんて、非常識にもほどがある」と、妹をなじった。そして、「ちゃんと病状はお母さんとお姉さんに話したのに、それがきみに伝わっていないなんて、あんたたちの家族は最低だね」といった。妹が「すいません。母も姉も昨日は動転していて……」というと、彼は「患者の家族は、誰だって辛いんだ。あんたたちだけが、特別じゃない!」と吐き捨てるようにいった。結局、約10分くらいの間、医者は一方的に怒鳴り散らし、妹は相談したかった免疫療法のことを尋ねるどころか、ただひたすら謝り続るしかなかった。医者は最後にテーブルを蹴って、「もう二度と、こんなことしないでくれ!
」と大きな音をたててドアを閉めて出て行った。その間、同席していた女性の助手はずっと下を向いていて、妹の顔を一度も見なかったという。
妹からこの話を聞いて、わたしは父を転院させることを決意した。新しい病院を探し、母を説得して、父は国立の専門病院に移った。結局、父は医者から宣告された余命期間さえも生きることはできなかったけれど、眺めのきれいな設備の整った病院で最後の時間を過ごした。今となっては何がよかったかということも、わたしたちにはわからないけれど、少なくともあの医者の元で、あの薄暗い汚い大学病院で治療をするよりはいい時間が持てたのではないかと思う。
医者にとっては、手遅れのがん患者などめずらしくもないのだろう。毎日のようにそういう患者や家族と接して、いちいち本気で向き合ってはいられないということも予測がつく。 |
でも、いくらそういう職業だとはいえ、扱っている商品が物ではなく生身の人間なんだから、もう少し人間らしい思いやりのある態度で接することはできないのだろうか?
そんな風に思うのは、医療の現実を知らない素人だからなのだろうか? |
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父が病気になるまで、わたしは医者と聞くと単純に尊敬の念を抱いてしまっていたが、今は逆で無意識のうちに嫌なヤツなんじゃないかと思ってしまう。世の中にはそういう医者ばかりではないと信じたいけれど、現実的にはもう信じられなくなってしまったことが、なんだかとても寂しいと思う今日この頃だ。 |
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