MEMORIES

SHOXX1999年6月号 その3

 hideと一緒にNYに行ったのはこの時だけだったけど、LAでは何回も顔をあわせたことがある。彼は91年以降、LAにも家を借りていて、一年の半分くらいは向こうで暮らしていたからだ。でも、会った回数は格段に多いはずなのに、LAで彼と遊んだ記憶はNYに比べると少ない。NYは仕事とはいえオフの時間が長かったから、なんとなく旅行気分に浸れたのだが、LAにはもう住んでいたから、そうそう浮かれてもいられなかったのかもしれない。NYでは夜な夜な「クラブ活動」と称して、ナイト・クラビングに精を出していたhideだが、LAで一緒にクラブに行ったことは一度もない。LAのロック・ミュージシャンが集まることで有名なレストラン「レインボー」とか(東京ヤンキースも一緒だった)、ライブハウスの「ウィスキー・ア・ゴーゴー」には行ったことがあるが、いわゆるクラブにはまったく縁がなかった。 そのかわり、夜遊びといえばひたすら居酒屋だった。YOSHIKIのスタジオからわりと近いところに、「×××××」という居酒屋があり、当時はここがXのメンバーの溜り場だった。店内に「ししゃも」とか「煮込み」なんてメニューが短冊に書いて貼ってあるような本当に庶民的な店で、日本にいるのとまったく変わらない雰囲気だった。ただLAは非常に喫煙に対して厳しくて、愛煙家のhideには決して居心地のいい場所ではなかったようだ。食事をするスペースが全面的に禁煙になり、煙草を吸いたいときはわざわざバー・スペースに行かなくてはならなくなった時、彼は「なんて不自由な国なんだ!」と憤慨していたが、その翌年には店内ではいっさい禁煙になっていた。メンバーが行きつけの「×××××」も居酒屋なのに禁煙になってしまい、彼は「なんで煙草を吸うのに、いちいち外に出なくちゃならないんだ」とブツブツいいながら、30分に一度くらいのペースで店の外に出て煙草を吸っていた。 実は、今回LAに行った時、3年ぶりくらいにこの店に行く機会があった。「すごく変わったから、最近は誰も行かなくなっちゃったんだよ」と事前に聞いてはいたものの、本当にガラリと雰囲気が変わっていてビックリした。なんだか妙に店内はオシャレになっていて、半分カタカナの気取った料理がメニューに並んでいる。料理が出てくる時も、「ヘイ、お待ち!」じゃなくて、「お待たせいたしました」って感じ。でも、やっぱり「ウニとフォアグラのパイ包み」より、「ししゃも3尾5ドル」とかのほうがわたしの性にはあっている。このメニューを見たら、きっとhideちゃんは「なんだよ、焼き鳥、なくなっちゃったの!?」って唇をとがらせるだろうな……と思いながら飲むビールは、ちょっぴり苦かった。
 さて、LAで不便なことは店内禁煙ともうひとつ、夜中の2時以降はアルコール販売禁止となってしまうことだ。これは徐々に規則が変わったのではなく、多分、彼らが最初に渡米した時からの法律だったように思う。飲み始めたら長いことで有名なhideにとって、これは悪法以外のなにものでもない。だから、LAでは2時になって外でお酒が飲めなくなると、誰かの部屋に行って飲むことが多かった。LAで夜遊びが少なかったのは、そんな理由からかもしれない。 でも、一度、東京ヤンキースやYOSHIKIと一緒に飲んでいて、大人数だったこともあり、2時をすぎてもどうしてもどこかで飲みたいということになったことがある。その時、hideが行こうといいだしたのが、ダウンタウンにある違法の居酒屋だった。そこは夜中の2時をすぎても、ビールや日本酒を湯呑みに入れて、こっそり出してくれる店だった。でも、わざわざ車を連ねて30分近くも走ってダウンタウンにまで行ったのに、残念ながらその店はしまっていた。「なんで、やってないんだよぉ」と、その時もhideは口をとんがらせて文句をいっていた。お酒に対するエネルギーは人一倍すごかったhideちゃんだけど、かんじんの店自体がやっていないのでは話にならない。 結局、私たちは再び車を連ねてスゴスゴとハリウッドに戻ることにした。
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そういえば、この帰り道、自棄になったのか、hideとYOSHIKIがわたしの運転するオープンカーの後部シートに座り、大騒ぎをしながら走ったのを覚えている。「飛ばせ~!」「赤でも走れ~!」と彼らは後ろで騒いでいたが、この二人を乗せて運転するプレッシャーは相当なものだった。なにしろ彼らはレコーディングの真っ最中だったから、万が一にも事故ってスケジュールが遅れたら……と想像しただけでもめまいがしそうになって、二人に何といわれようとも必要以上に安全運転をしてしまったのだった。 LAではあんまり遊んだ覚えがないといいながら、こうして振り返ってみるといろんな思い出が次から次へよみがえってくる。みんなで遊園地へ行ったことやhideのうちでバーベキュー・パーティーをしたこと、夜中に知り合いのミュージシャンのホテルを襲撃したこと……。旅をしているとひとりの時間がたくさんあるから、日常生活で忘れていることをふと気づかされることが多いのだけど、今回のNYとLA旅行ではhideのことを思い出すシーンが多かった。日本では一緒に行ったことのある場所に行ったって、感慨に耽ることなんて滅多にないのに、それが何回もあったのは海外という特殊な場所だったからだろうか。それとも、もうすぐ1年という節目が近づいているからだろうか。

  日本に戻ってきたら、5月1日にリリースされるhideトリビュートの試聴用カセットが届いていた。いろんなアーティストが、hideの楽曲を自由にアレンジして、カバーしているアルバムだ。それを聞きながら、hideは今でも多くの人に影響を与え続けているんだなと思った。参加アーティストたちはきっと悲しみよりも、「カッコいい音、作ろう!」という気持ちでhideの楽曲に取り組んだに違いない。その意気込みが、音の隙間からヒシヒシと伝わってくる。きっと天国の彼がこのアルバムを聞いたら、「やってくれたじゃん」とニヤリと笑うに違いない。 彼の残した素晴らしい音楽、たくさんの思いで、多くの人に感動と影響を与えた生き方とスピリット。それらをひとつ残らず胸に抱いて、それぞれの道を精一杯歩いていくこと。それが、彼への感謝の気持ち、最大の「ありがとう」なのだと思う。それは、1年たっても10年たっても、決して変わることはないはずだ。最近、NYで買った目玉指輪をみるたびに、そんなことを思っている……。

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