こうして、高校でバンドを組むという夢を断たれたhideは、学校以外に活動の場を捜し始めた。そして、横須賀にはそんな彼を満足させることができる格好の場所があった。どぶ坂ストリート……アメリカ兵相手のバーやクラブが立ち並ぶ繁華街である。夜になるとけばけばしいネオンが瞬き、厚化粧の女性たちとあやしげな男たち、出撃前のひとときのやすらぎを求めてさまようアメリカ人たちが、集まる場所。そして、当然、その街には音楽があった。ライヴ演奏を聞かせる店も少なくなく、自然と音楽好きな若者たちも街にたむろっていた。小さい頃から両親に「あそこにだけは、行っちゃいけません」と固く止められていたhideだが、高校には気のあう友達もあまりいなかったことから、自然とこの街に足を踏み入れるようになる。そこには、今まで雑誌やレコードやテレビでしかふれるとこのできなかったロックが、ごくごく身近なものとして存在していた。すぐさま、hideはこの街に夢中になった。今まで会ったこともないような人たちと出会い、見るもの聞くものすべてが刺激的で刺激的で楽しかった。 |
そして、通りに面したライヴハウスによく出入りするようになり、そこで知り合った同い年の仲間とバンドを結成することになる。このバンドは知り合いの高校の文化祭に出るような遊び感覚のコピーバンドだったが、hideはだんだんそれでは満足できなくなってくる。そして高校2年の時に、やはりどぶ坂ストリートのライヴハウスで知り合った仲間を中心に、本格的なバンドを結成。それが、彼がXに加入するまで、6年間活動していたサーベルタイガーである。「とにかく派手にやろう!」というコンセプトで始めたこのバンドは、ビジュアル的に相当派手だっただけでなく、ステージ面でもかなりの暴れん坊だった。当初は横須賀のライヴハウスを中心に活動していた彼らだが、オリジナルをやるようになると、徐々に他の街でのライヴも増えてくる。東京のライヴハウスに出るようになった頃には、彼らはインディーズ・シーンではかなり名前の知られるバンドになっていた。 |
その頃、北海道にも同じサーベルタイガーという名前のハードロック・バンドがあり、そちらと区別するために、彼らは通称「横須賀サーベルタイガー」と呼ばれていた。とにかくビックリするほどインパクトのあるステージと、オリジナリティあふれる楽曲で当時のインディーズ・シーンを震撼させた横須賀サーベルタイガー。そのリーダーであったhideの飽くなきエネルギーや独特のセンスには、混沌とした中にすさまじいパワーを内包した街である横須賀の影響を、感じないではいられない。86年暮れ、度重なるメンバー・チェンジに疲れ、横須賀サーベルタイガーは解散。その直後、YOSHIKIに誘われ、Xに加入することを決意し、生まれ故郷の横須賀から旅立っていった。 |
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「あけまして、おめでとう。スーパースターも、夢じゃない」「みなさん、こんばんは。ようこそ、武道館へ」「今日は、俺、ミッキー松本とともに、ギンギンのりまくろうぜ」「今年は受験もあることだし、勉強andミュージックの方にも力を入れようぜ!」ギターを持った男のイラストの横に、こんな吹き出しの文字が踊っている。 |
これは、hideミュージアムに展示されている中学時代に友人からhideが受け取った年賀状に書かれていた言葉である。将来は絶対にミュージシャンになって、武道館でコンサートをやるんだ! そんなhideとその友人の幼い日の夢がヒシヒシと伝わってくる一方、受験も頑張ろうという言葉も忘れない生真面目さも伝わってくる。hideという人間を身近に感じることができる、実に貴重なアイテムだ。彼が生まれ育った横須賀の街にオープンしたhideミュージアムには、こんな展示品が本当にたくさん並んでいる。雑誌やCDのコレクションから、小さい頃の通信簿、歌詞の下書きや手書きの曲順表、衣装のデザイン画……。スペース的にはそれほど大きくはないけれど、展示品の内容は非常に多彩で実に見ごたえがある。だが、これでも出し惜しみしていて、まだ展示したい品は山のようにあるのだという。 |
hideを愛する人たちにとって、ここはまさに玉手箱のようなスペースだ。こんなにもたくさんのメッセージを隠していたなんて、いたずら好きなhideちゃんならでは……と、つい微笑みたくなるような暖かい場所である。 |