MEMORIES

SHOXX2000年11月号 その1

 X JAPANにとって東京ドームは、まさにホーム・グラウンドであった。91年8月23日に彼らが初めて東京ドームのステージに立ってから、97年12月31日のラスト・ライヴまで、彼らがここでコンサートを行った回数は実に13回。メジャー・デビューしてからわずか2年4ヶ月で東京ドームをSOLD OUTにしたのも驚異的な記録であったし、92年1月には国内アーティストとしては初めての3日間連続のコンサートを成功させている。その後も年末の東京ドーム・コンサートは恒例となり、1年の締めくくりはX JAPANの東京ドーム・ライヴでというのが、ファンの間でも決まりごとになっていた。浮き沈みの激しい日本の音楽業界において、6年もの期間に渡り、コンスタントに東京ドームでのライヴを行ってきた彼らは、まさにモンスター・バンドというにふさわしい人気を誇っていたのである。
 91年8月の最初の東京ドームの時は、メンバー全員のテンションが異常なほどに高かった。hideはこの記念すべき東京ドームでの初ステージの感想を、こんな風に語っている。「最初は別に『東京ドームだっ!』っていう感動はなかったんだけど、ライヴの後半の『オルガスム』あたりでふっとステージ後方のビデオを見た時、人がびっしりはいってて客席が絨毯みたいに見えて、すごいなと思った」hideは以前のROSE&BLOODツアーから「hideの部屋」と称するギター・ソロを行っていたが、その混沌とした世界がより明確になってきたのがこの公演だった。前回のツアーではマネキンに絡んでいたのだが、今回は相手が生身の人間にグレードアップしていて、本人も「とても嬉しい」と喜んでいた。また、「hideの部屋」のオープニングでは、世界的な特殊メイク&SFXアーティストのマッド・ジョージ氏制作のhideに似せた天使が空を飛んでいて、観客の目がそこにひきつけられている間に、本物のhideがせりでステージに登場するというトリックが使われていた。この手法を、彼はソロになってからのライヴのオープニングで、何回も使っている。
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 翌年の1月5、6、7の3日間、Xは日本人アーティストとしては初めての快挙である東京ドーム3DAYSライヴに挑んだ。初めて東京ドームのステージに立ったわずか5ヶ月後のことである。彼らはコンサートにタイトルをつけるのが好きだったが、この3日間にも1日目が「BLUE BLOOD」、2日目が「VANISHING LOVE」、3日目が「SILENT JEALOUSY」というタイトルがついていて、もちろん、演奏曲目と内容も各日共に違っていた。「hideの部屋」はさらにアーティスティックになっていて、狂気を髣髴させる独特のパフォーマンスにさらに磨きがかかっていた。hideは怪物がまとわりつく椅子に乗って空中からステージに登場し、最後は暴れる彼を白衣の怪人や看護婦がベッドに拘束して連れ去るという衝撃的なパフォーマンスを披露。ロック・コンサートのギター・ソロという範疇を越えた、アーティスティックな空間を作り出して、観客に衝撃を与えた。
 だが、表面上は大成功に見えたこの3DAYSコンサートであったが、実際に演奏しているメンバーにとっては非常に複雑な想いが交差するライヴであった。長年、苦楽を共にしてきたベースのTAIJIが、1月7日のライヴを最後にバンドから脱退したのである。そのことは前年の年末に既に決まっていたので、ステージ上の5人だけはこのメンバーで演奏するのも、これが最後という残酷な事実を知っていた。
1月7日のコンサートの終わりに演奏された「ENDRESS RAIN」の時、あふれる涙を隠そうとしなかったYOSHIKIとTOSHIに対し、hideはドームの天井をじっと見上げて、必死に涙をこらえていたのが印象的だった。
 
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