ロックンロール日記
hideのいた風景
SHOXX2000年9月号よりその3
 イタリアン・レストラン「L」にも、ある時期しょっちゅう通っていた。それまで、hideと飲む時は、どちらかというと和食系の店の場合が多かった。それは、彼が日本酒が好きだったからだと思う。けれど、ある時期から、彼は日本酒よりもワインに凝り始めた。ちょうど世の中にワインブームが巻き起こるちょっと前のことだったので、今ほど和食の店にワインが置いてある所がなくて、それで彼のお気に入りがイタリアン・レストランになったのではないかと思う。
 この店は、いかにもトラットリアという感じのカジュアルな店だった。ピザとかパスタ等のメニューがたくさんあって、若いカップルとか会社帰りのグループが食事をしていることが多かった。そんなごく普通のイタリアン・レストランに、わたしたちは午後の7時から夜中の3時まで、なんと8時間も居座り続けたことがあった。居酒屋とかバーとかお酒がメインの店ならば、8時間という数字はそれほど珍しいことではないかもしれない。実際、当時のミュージシャンの中には10時間以上も同じ店で飲み続ける人がざらにいたし、hideと一緒に、5〜6時間、同じ店で飲み続けたことも、数え切れないほどある。しかし、「L」はそういうタイプの店ではないから、わたしたちのグループは相当異色だったようだ。帰り際にhideがお店の人に、「こんなに長いこと、お店にいた人はいないでしょう」といったら、「オープンして以来、初めてでございます」と、ていねいに答えられていた。その時は10人くらいいたと思うのだが、ほとんど全員が赤ワインを飲んでいたので、次から次へとボトルが空いていく。最初に頼んだ銘柄はすぐになくなり、2番目に頼んだ銘柄もなくなり……たしか、最後はみんなハウス・ワインをグラスで飲んでいたように思う。まさか店にあったボトルを全部飲んでしまったとは思わないが、相当量のワインを飲んだことは間違いない。
MEMORIES
 hideと一緒に行った西麻布の店は、大体このくらいだ。彼は、一つの店が気に入ると繰り返しその店に通うタイプなので、一緒にこの街でお酒を飲んだ回数から考えると、行った店の数は驚くほど少ない。だが、その分、一つの店に対する思い入れはとても強かったのだと思う。だから、彼はいきつけの店の人と必ずといっていいほど、仲良くなっていた。彼が死の直前までしょっちゅう顔を出していたやはり西麻布の「A」の店長は、レッドシューズのマネージャーだった人物だ。hideはレッドシューズ時代に彼と仲良くなり、「A」をオープンしてからも引き続き通っていたのだ。
 彼が逝ってしまってからも、わたしは時々夜中の西麻布に出かけることがある。けれど、彼と一緒に行った店に顔を出すことは滅多にない。1年くらい前、仕事の流れでおでんやの「R」に久しぶりに行くことになった。でも、懐かしいあの個室に通された途端に、hideの想い出が怒濤のように頭の中を駆け巡った。「ここに座ってた時、hideちゃんはこんなこといってたっけな」「あの時、hideちゃんはこんなことしてたな」……そんなことばかり考えていて、その場の会話はほとんど上の空だった。きっと、これからもわたしは、彼と一緒に行った店には行かないだろう。それは、彼を思い出にしたくないからなのだと、最近、思う。夜更けの西麻布の街角で、今夜も彼はおいしいお酒を飲んでいるんじゃないか。そんなことを思い続けていたいからなのかもしれない。
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MEMORIES
大島暁美のロックンロール日記