ロックンロール日記
hideのいた風景
SHOXX2000年11月号よりその3
 X JAPANのメンバーとして、6年の歳月の間に、13回、東京ドームのステージに立ったhideだが、そのバック・ステージの様子はどうだったのだろうか。筆者は密着取材で何回も東京ドームの楽屋を取材しているので、ここでその時の彼の様子をお伝えしておこう。彼はドーム公演に限らず、どのコンサートでも決められた時間よりも早く会場入りすることが多かった。それはヘアメイクに時間をかけるという意味もあったが、彼一流のライヴに対する気合いの入れ方だったように思う。会場入りしてすぐにヘアメイクを始めるhideだったが、やってもらっている最中に椅子に座ったまま、うたた寝している姿を何回か目撃した。もともと睡眠時間の少ないhideだが、ライヴの前は緊張でさらに眠る時間が少なかったのだろう。すやすやと眠っているhideのために、周りのスタッフもできるだけ音を立てないように気をつかっていた。いつもは笑い声の絶えないhideの楽屋が、この時ばかりはシーンと静まり返っていた。
 恒例になった年末の東京ドーム・コンサートは、リハーサルがあまりできないのが通例になっていた。LAに住んでいたYOSHIKIは、リハーサルのためにライヴの2週間前には帰国していたのだが、積もり積もった用事に忙殺され、なかなかリハーサル・スタジオにあらわれない。そこで、2DAYSの前日に行われるゲネ・プロ(通しリハーサル)や当日の音決めリハーサルで、細かい直しや段取りなどが決められることが多かった。hideはこのステージでのリハーサルをとても大切に思っていて、いつも時間になるとスタッフに呼ばれなくても自分からステージへと向かった。そして、その時には既にヘアメイクはほとんど完成し、衣装を着ていることが多かった。リハは普段着のままで行うミュージシャンも少なくないのだが、hideは「だって本番前のリハーサルなんだから、できるだけ本番と同じようにやらなくちゃ、意味ないでしょ」といっていた。だから、たくさんのダンサーが登場して仕掛けがいっぱいの「hideの部屋」リハーサルも、毎回、本番さながらにきっちりと行われていた。そして、リハーサルが終わるとモニター・ルームでビデオを見て、しっかりとステージの様子をチェックするのだった。
MEMORIES
 東京ドームのバックステージでは実に大勢のスタッフが働いていて、どこも緊張感がいっぱいだった。hideの楽屋もピリピリという感じではなかったが、開演時間が近づくにつれて、独特の高揚感が漂っていた。そんな中、常にマイ・ペースでホッコリとした空気が流れているのが、PATAの楽屋だった。彼の楽屋には忙しく働いているスタッフたちが時折顔を出し、なごみのエネルギーをもらっては、また現場へと戻っていった。hideも時々PATAの楽屋に顔を出して、とりとめのない話をしては、開演前の緊張感から一時的に開放されていた。「PATAの楽屋は、本当に不思議なとこだよな。あそこだけは、東京ドームの中にあるとは思えないよ」と、hideはよく感心していた。PATAはライヴの前も缶ビールを飲んでリラックスしていたが、hideはライヴ前には決してお酒を飲まなかった。お酒どころか、水分もほとんど口にしなかった。それは、ライヴで顔に汗をかくのがイヤだったからだった。どんなに暑いステージでも、「俺は気合いで、絶対顔にだけは汗をかかない」といっていたhideは、自分の美学を貫くプロフェッショナルなエンターティナーだったと思う。

 いよいよ開演直前になると、メンバーはそれぞれの個室楽屋から出て、ステージ近くの廊下に集まる。既に会場には客が入っていて、ざわざわと期待にあふれた空気が伝わってくる。完璧に準備の整った5人は狭い廊下に並んで立ちながら、たまに一言二言会話を交わすだけ。何回も経験している東京ドームのステージだが、やはり開演直前は緊張するのだろう。どのメンバーも、口数は少ない。そして、いよいよスタッフが「じゃ、行きましょう」と声をかける。5人はおもむろに輪を作って、YOSHIKIの先導で気合い入れをしてから、ステージへと続く階段をゆっくり上っていく。「あの光景だけは、言葉で説明できない」とhideがいった東京ドームの巨大な客席が、彼らが登場する瞬間を固唾を飲んで待ち構えているのだ。
 最後に少しだけ、プライベートな思い出を書かせてもらう。一度、hideが「お母さんを東京ドームに招待しなよ」と、いってくれたことがあった。筆者の実家は東京ドームの近くで、母はhideが何回か夜中に飲み会召集の電話をかけてきた時、偶然、電話に出たことがあった。終演後、母を連れてhideの楽屋に行き、母が「いつも娘がお世話になってます」と挨拶すると、彼はいたずらっ子のようにニヤッと笑い、「いつもお世話してます」といったあと、きちんと姿勢を正していつも遊んでもらってるhideです。これからもよろしくお願いします」と、礼儀正しく挨拶した。母の胸にも筆者の胸にも、あの時の子供のような彼の笑顔は焼きついたままだ。母は今でも東京ドームの近くを通ると、「あそこの楽屋でhideちゃんに会ったわねぇ」と、遠い目をしてつぶやく。毎年年末にはこの会場に通ったわたしにとっても、やはり東京ドームは野球場でもバーゲン会場でもなく、X JAPAN、そして、hideのホームグラウンドなのである。
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大島暁美のロックンロール日記