ロックンロール日記
hideのいた風景
SHOXX2000年11月号よりその2
 次に、彼らが東京ドームのステージに登場するのは、約2年後の93年末のこと。その間にバンド名はXからX JAPANになり、ベースも新加入のHEATHに変わっていた。ちょうどこのライヴが行われる数ヶ月前の8月に、hideはソロとしてのファースト・シングルをリリースしている。また、2月に初のフル・アルバム「HIDE YOUR FACE」のリリースを控えていたこともあり、「hideの部屋」はすっかりソロ・ワークの世界に染まっていた。だが、この2日間のコンサートの前、hideは2年ぶりのライヴであることやリハーサルがほとんどできなかったことが原因で、ナーバスになりすぎて体調を崩してしまった。「俺、普段は体調なんて気にしないんだけど、一応、ツアー前とかは少し摂生するのね。でも、今回は2年ぶりのライヴだし、HEATHは初めてだし、『ART OF LIFE』(30分の大作)を通してやるっていうし、いろいろ考えてたら体調悪くなっちゃた。ライヴ前にあんなにナーバスになったのは、初めてかもしれない。31日なんて、8度5分くらいの熱を出してたからね」(hide談)94年年末は、12月30日が「青い夜」、31日が「白い夜」と題された2DAYS。このコンサートでは、入場者全員にデモ・テープが配られるという、またまた彼ららしい大胆なアイデアが話題を呼んだ。この年の「hideの部屋」には、ソロのツアーにも参加していたPATAが共演。二人一緒に籠に入って空中から登場したりと、いつものように仕掛けがいっぱいの楽しいステージで、息のあったところを見せてくれた。演奏曲目は30日がエアロスミスの往年の名曲「DRAW THE LINE」をほとんど原曲がわからないくらいアレンジしたインダストリアル・ナンバー、31日は「BLUE BLOOD」に入っていて、ソロ・ツアーでも歌っているhideお気に入りの「Celebration」だった。「今年はいつもより、全然緊張しなかった。東京ドームのステージってあの会場の大きさから考えるといつも小さいんだけど、今回はいつもよりも広かったんだ。そのせいか、客席を見た時に、なんか狭いなって感じたんだよ。ソロで代々木(体育館)でやった時のほうが、広いなって思った。それは、緊張感とか高揚感のせいなんだろうけどね」(hide談)
 翌95年年末も、X JAPANは東京ドーム2DAYS公演を行っている。彼らの年末のドーム公演も3年目を迎え、恒例行事のようになってきた。だが、この年は他の年とは、少しばかりニュアンスが違っていた。11月から久しぶりの全国ツアーDAHLIA TOUR1995─1996が始まり、このドーム・コンサートもそのツアーの一貫になっていたのだ。このドームの時、ステージに登場したhideの姿を見て、あっと驚いたファンも少なくなかっただろう。サーベルタイガー時代からずっと伸ばしていた長髪を切り、パンキッシュに立てていたのだ。顔の半分に仮面をかぶり、身体にパイプを巻きつけた彼は、最初のソロ・デビュー曲「EYES LOVE YOU」のスロー・バージョンをプレイし、その後、30日は「CELEBRATION」、31日は「POSE」を披露。PATAや彼のステージではお馴染みになったダンサーたちも登場し、さながら彼のソロ・コンサートを見ているようである。
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 96年年末も、X JAPANは東京ドーム2DAYSライヴで1年を締め括った。この年は、30日が「復活の夜」、31日が「無謀の夜」。実は、この年の3月で終わる予定だったDAHLIA TOUR1995─1996が、YOSHIKIの体調悪化により中断してしまったため、この二日間のライヴはツアーのファイナルという位置付けをされていた。PATAとダンサーたちがステージを彩る中、hideがプレイしたのは「POSE」のインダストリアル・バージョン。オープニングとエンディングにマッキントッシュの起動画面を使うなど、さすがアンテナの鋭いhideらしいアイデアが満載だった。
 そして、彼らの最後のライヴとなる97年12月31日。既に9月に解散を発表してはいたものの、ファンの強い要望とメンバーの「ケジメをつけたい」という想いで、実現したコンサートだった。この日のライヴでは、メジャー・デビューして以来、必ずプレイされた「hideの部屋」はなかった。hideだけでなく、TOSHIもHEATHも暗黙のうちに、ソロはやらなかったという。その時間があれば、X JAPANの曲を一曲でも多く演奏したいという気持ちだったのだ。コンサートのラストでは、やはりメンバー全員の頬に涙が伝っていた。もちろん、hideの頬にも。「ライヴ前、俺は、絶好調のバンドが地方を回って来た、ツアー・ファイナルみたいなつもりでやるっていってた。やっぱりそうはいかなかったけど、『この日でXがなくなっちゃう』という切迫感はまったくなかった。だけど、なんだかギクシャクしてたよね。一人一人が、ぎこちなかった。『FOREVER LOVE』でYOSHIKIとTOSHIが抱きあった時、やっとそれがなくなった。それで、俺も自然に涙が出てきたんだと思う」(hide談)
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